荒川光のブログ

Hikaru Arakawa's blog

パクチー(コリアンダー)の種を蒔いたら発芽して嬉しかった!

パクチー コリアンダー 発芽

発芽したパクチー

先日ホームセンターでパクチーの種を買ってきて蒔いてみたところ、見事に発芽したので嬉しくなってこの記事を書いています。

 

種を蒔けば芽が出るなんてあたりまえじゃないかと思う人もいるかもしれませんが、蒔いてから芽が出るまでの数日間は、はたして本当に芽が出てくれるかと、ハラハラドキドキするものです。

今までにもベランダガーデニングでいろいろな植物の種を蒔いてきましたが、芽が出たときの感動はいつも特別です。

特に市販の種ではなく、自分で食べたピーマンやゴーヤやレモンなどの種を蒔いて芽が出たときは本当に信じられない気持ちになります。

 

 

それにしても、考えれば考えるほど「発芽」というのは不思議で神秘的な現象です。

小学校の理科の時間に、水と適当な温度と酸素などの条件が整えば発芽すると習ったような記憶がありますが(間違っていたらすみません)、実際に発芽を目にしたときに私が感じるのは、そんな化学反応によってプログラムされていた通りに起こった現象ではなく、種自身が力を発揮して芽を出したといった印象です。

 

水でぬらされた種がなんだかムズムズしてきて、がまんできずに脚をニョキっと出したというか、眠っていた種の中に少しずつ力が宿ってきて、一杯になった力が種を押し広げたというか、そんな風な種自身の自発的な力を感じてしまうのです。

 

種から伸びてきた脚が土の中に入っていき、そこで足場を得て、重い種をグッと持ち上げて、種の中で成長した双葉がゆっくりと種を脱いでいく。

そして生まれて初めて外気に触れたうす緑いろの双葉は、まるで両腕を広げて太陽の光を受け止めるかのように空に向かって小さな葉を広げる。

 

このあと本葉が茂ってきたり、茎が長く太く成長してきたり、花が咲いて実がなって、ついには自分が元々それだったところの種をつけたりする過程においては、多少なりとも栽培者の力も寄与したと考えることもできるのですが、最初の「発芽」に関してだけは、私には応援し、祈る以上の手助けは何一つできません。

種に頑張ってもらうしかない。

 

 

さて、パクチーについてなのですが、最近流行っているようで頻繁に耳にするようになりました。パクチーを山盛りにしたサラダまであるそうですね。

 

私が初めてこの植物を口にしたのがいつだったのか記憶が定かではありませんが、その時に私の頭に浮かんだのは「料理の中に間違って何か腐ったものでも入っているのだろうか?」という疑いでした。

ただその食事の席ではそのような疑問を口にすることができない状況だったのだと思いますが、私は何も言わずにそのまま食事を終えたのでした。

 

その変なにおいの原因がパクチーなる植物であることを知ったのは何年も後になってからのことです。

そしてその変なにおいのする植物を使った料理を何度か食べるうちに、それは私の中で「良い香り」に変化したのでした。

 

「間引き」という言葉を思い浮かべるたびに心の痛む思いがするのですが、間引かなくてもよいように10センチも間隔をあけて一粒一粒種を蒔いていけるほど私のアパートのベランダは広くありません。それゆえ狭いプランター一面にパラパラと種を蒔いて、たくさん発芽したあと間引き作業が必要になってきます。

 

どの種も頑張って芽を出してくれたのに、その芽を摘んでしまうのはつらいのですが、今日間引きをおこないました。

まだ双葉のあとの本葉が出たばかりなのに、根は思いのほか深くまで伸びていて、引っ張るとプチッと小さな音が。

食べてみるとあの良い香りが口の中に広がりました。まだ幼い葉にもかかわらず、大人と同様の香りをすでに身につけていたのです。

 

これからの成長を見守るという楽しみが一つ増え、灰色の(?)私の毎日の生活に一筋の光が差したのでした。