荒川光のブログ

Hikaru Arakawa's blog

佐々木隆宏著「インド式 超速★計算術」を読んで実際にやってみた

まえがき

インド式計算術というのが一時期話題になりました。少し興味はあったのですが、どんなものなのかよく知らずに最近まで過ごしてきたのです。

ところがタイトルにも記した本をブックオフでたまたま見つけた私は、108円という値札にも助けられ、購入を果たしました。

 

 

インド式計算術にも様々な流派というかスタイルがあるのかもしれません。この本で紹介されているやり方がスタンダードなのか亜流なのかも知りません。ただどんなものなのかちょっと覗いてみようといった好奇心から本を手に入れたのです。

 

私は小学生の頃から算数が苦手でした。そんな私にこの暗算法がマスターできるのか? という疑問もありましたが、もしマスターできればちょっとした特技として自己PRに使えるゾという下心もありました。

 

「計算機で一瞬で答えが出ることを暗算でやる意味」というような議論はちょっとおいておきましょうよ。それよりも57×53をパッと答えることができたら、これ、結構凄いことですよね。やれたら面白いですよね。

算数が苦手だった私と心の傷(ちょっと大袈裟ですね)

算数が苦手だったと言いましたが、そろばん(懐かしい!)も習っていた私は純粋な計算は苦手ではなく、むしろ得意なほどでした。因数分解や幾何学だって得意とまでは言えませんが好きではあったのです。では算数の何が苦手で嫌いだったかというと、それは文章問題なのです。

 

例えばこういう問題がありました。

水槽に水が入っていて下の蛇口から水が流れ出しているのに、それを上回る量の水を上から加えることで水槽を一杯にしようとするのです。そしてそれを成し得るまでに要する時間を求めなさいといった問。

 

「水が漏れてんねやったら止めろや!」という言葉で頭の中がいっぱいになりました。

与えられている前提条件にすぎないことは分かっているのですが、理性では分かっていても心が受け入れることを拒むのです。

私はこんな愚かな問題を解く気にはなれませんでした。

 

放課後に算数の理解に乏しい生徒が集められ、「算数病院」と名付けられた勉強会が開かれました。もっと簡単に言えば私たちが居残りをさせられて、先生が算数の復習をしてくださったのです。

私は担任のこの女の先生が好きでした。しかし私は「算数病院」という呼び名を受け付けることができず、先生の引き留めにソッポを向いて帰宅したのです。

 

算数病院。今のご時世なら父兄によってはちょっとした問題にするかもしれません。

もちろん 先生には何も悪気はなかったことでしょう。それは当時の私にも分かっていました。でも私は頭の病気扱いされたことが子供ながらにショックで、「通院」しなかったのです。

大人げないとは思ったのですが、まだ私は子供でしたので。

おまたせしました、本の中身紹介

では本の内容についてです。

この本では2桁以上の掛け算や、足し算、引き算、割り算のやり方が解説されています。

ただここでは実際の計算のやり方については割愛いたします。ご興味のある方は書籍にあたられるなり、ネットで検索されるなりしていただければと思います。

 

 

私が本を読んで実際にやってみた感想は「なるほど、これは私にもできる」というものです。

例題、たとえば34×36という問題があり、解き方の説明があります。そしてその後の練習問題を何題か解いて理解を深めるのです。

 

先ほどの34×36は「10の位どうしが同じ数字で、1の位どうしを足したら10になる場合の掛け算」です。

また46×66のように「1の位どうしが同じ数字で、10の位どうしを足したら10になる場合の掛け算」というものもあります。

 

この他にも

「×5をする場合には×10をしてから半分にすれば簡単に解ける」

「23×98の場合には、98にはあと2を足せば100になるのだから、23×100をまず計算して、そこから23×2を引けばいい」

などなど計算する数字によっていくつもの攻略パターンがあります。

 

それぞれのパターンでの計算方法を身に付けて、数字を見た時にはどの計算パターンにあてはめれば良いのかを見極めることが必要です。

 

ただやり方を覚えただけでは実際の場面での活用は難しく、十分な練習を積むことでどんなケースにも対応できるようにしておくことが大事だと思いました。

 

途中までおこなった計算結果を一旦記憶しておいて、後でそれを取り出して活用する場合があるので、最近よく耳にする「ワーキングメモリー」といわれる能力が必要です。この能力が著しく欠落していると紙などに数字をメモしておかなければならないため、それはもはや暗算とは呼べません。それをするなら普通に今まで通りの筆算をすればよいという話になってしまいます。

練習を積めばワーキングメモリーは鍛えられるものだと思いますし、ちょっとした脳トレになるかもしれません。

頑張って一生モノの技術として身に付けたいものです。

数日間取り組んでみて

「一生モノの技術として身に付けたい」などと宣言した、その舌の根も乾かぬうちにこんなことを言うのも気が引けるのですが、私はこの素晴らしき暗算術を放棄する意思を固めました。

 

確かにマスターすれば日常生活を送る上で良いことは少なからずあるとは思います。しかし費用対効果(というか時間対効果)を考えるとあまり触手が動かないのです。

女の子の前で披露する機会があったとしても「すごーい」とは言われるかもしれませんが、モテたりするほどでもないでしょう。

それだったら筋トレをして肉体の完成度を高めるとか、ヴォイストレーニングをしてカラオケを上手に歌えるようになる、などの方に時間を使いたいですね、私は。

 

それとも私のやり方に何か間違いがあったのでしょうか?

「そんな難しいものじゃないよ」

「もっと簡単に習得できるものだよ」

「元々の頭が悪いからできないんだよ」

などの声も聞こえてきそうです。

 

もし身の周りにこの技術をマスターした人がいて、それを目の当たりにする機会があったなら、尊敬の念を込めて賛辞を送りたいと思います。私が成し得なかったことを彼は成し遂げたのですから。

純粋な好奇心に駆られて無我夢中に、あるいは女の子にモテるなんて誤解から必死で、頑張ったに違いないのです。

天晴!

あとがき

実際に計算問題を解きながら、数字っておもしろいなってつくづく思いました。

数字って何なのでしょう? 単純にして複雑。氷のように綺麗で、冷たくて、非人情的なものに私には思えます。

 

リンゴが3個あったとして、そこからリンゴという味や色や重さのある物体を取り除き、単に3という記号として考えるというようなことでしょうか?

そしてその数字を足したり引いたり、掛けたり割ったりすることで、まるで一本の糸が様々に形を変えるあやとりのように、何かの意味を持つようになる

 

私には学が無いので、ポヤーっとした頭で支離滅裂な思考の断片を思い浮かべるのみですが、数学っていう学問にはとても魅了されます。ベートーベンの音楽やピカソの絵みたいに。

 

「数学を極めたい」「天才数学者になりたい」なんておかしな妄想にふけってしまいました。1分間ほどね。