荒川光のブログ

炎上しない程度の過激発言! を目指しているのですが、出来上がった文章を読んでみるといたって正常で健康的です。ホッとするやらガッカリするやら複雑な心境です。

「ちがくない」という言葉づかいを絶滅させたい

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誰しも好きな言葉や嫌いな言葉というものがあると思います。

私はとりわけ言葉の好き嫌いが激しいたちで、それゆえ日常生活でイライラしたり不愉快な気持ちになったりすることが多いのです。

今回は私の嫌いな言葉の中でも最も嫌いなものの一つ「ちがくない」を取り上げて、サンドバッグよろしくボコボコにぶん殴って日ごろの鬱憤を晴らそうと思います。

ここから後の文章はすべて私の個人的なグチになりますが、聞いてくださる心優しいあなたに期待して、遠慮なくグチらさていただきます。

 

まず初めにおうかがいしたいのですが、あなたは「ちがくない」という言葉づかいがあることを知っていますか?

私はそんな言葉を聞いたことがありませんでした。周りにそんな言葉づかいをする人がいなかったからです。

その言葉に初めてふれたのは、記憶ちがいでなければおそらくある歌の歌詞の中に出てきたときだと思います。

最初はそれを聞き違いかなくらいに思っていました。しかし何度も聴いているうちにそれが聞き違いではないことが分かってきたのです。

 

私はそのアーティストもその曲も好きだっただけに、この言葉づかいの発見はショックでした。

付き合っていた恋人に、私の倫理観では許容できない特徴を見つけてしまって苦しんだ、あの若かりし日を思い出します。

彼女をとがめる資格も、その勇気も私にはありませんでした。

私の器が小さいのだろう、私が女を知らなさすぎるのだろう、私の経験値が低いせいだろう。

さまざまな理由をつけて自分を責めるしかなかったのです。そしてそんな自己嫌悪を慢性的に抱かせる彼女に、しだいに憎しみを感じるようにもなってきたのでした。

 

っとまあそんな話は置いておきます。

「このアーティスト、なんでこんな頭が悪そうに見えるような言葉を使うんだろう。まったく残念でしかたない」と痛烈に感じたものです。

 

 

「ちがくない」とは一体どういう言葉なのでしょう? 

おそらく「違う」という動詞を形容詞的に活用させてこんな異形な言葉を作ったのでしょう。

ただ文法がどうだとか活用がどうだとかそんな難しい話は抜きにしても、異星人か地球外生命体が使うような気味の悪い言葉をどうして平気で使えるんだろうと、それが不思議でしょうがない。

そんなモヤモヤした日々を過ごしているうちに、今度はまた別のアーティストの歌詞においても「ちがくない」を発見したのでした。

そしてさらにさらに、また別のアーティストの歌詞でも「ちがくない」が使われている。

 

注)上記の3アーティストは実際には「ちがくない」とは歌っていませんが、「違う」を誤活用させることで勝手に作った言葉を歌っているのです。

 

一度この「ちがくない」に気付くと、次からは日常耳にする言葉の中に容易に同様の言葉を発見することができます。今までなら聞き流していた他人の言葉の中に、意外と「ちがくない」が多いことに気付くのです。

もしくは時を経るにしたがって、この言葉を使う人々が増えてきたためでもあるのでしょう。

 

批判を覚悟の上で正直な私の気持ちを言わせてもらうと、この「ちがくない」を違和感なく使える脳には欠陥があると思います。

「間違った日本語」だとか「文法の誤り」だとかそんな話ではなく、こんな言葉を使って平気でいられる神経を持った人間を、差別的な意味ではなく、欠陥人間だと私の中では定義しています。

 

確かに世の中には、ガラスを金属で引っ掻くような嫌な音を美しいと感じる感性を持ったニュータイプも存在するのかもしれません。その感性はもしかしたら才能でしょうか? いえいえ、脳の欠陥だと思います。

 

変わり者を排除しようなどという意図はありません。多様性はもちろん尊重します。

しかし例えば人を心身ともに傷つけることに快感を覚えるような人間や、残虐な行為を趣味とするような人間を、特異な感性を持った才人だとみなすことができるでしょうか? そういう人は病気の部類にあてはめて「ケアを必要としている人」と考えるのが妥当ではないでしょうか?

 

「ちがくない」をためらいなく使える人を欠陥人間とまで言うのは、これはちょっと言い過ぎかもしれません。しかし「ケアを必要としている人」であるとは思います。

このような人たちを、怒りにまかせて「美しい日本語を汚す害獣」とののしるのではなく、適切な治療で治してあげなければならないと思います。

 

 

言葉は時代とともに移り行くものだとはよく言われます。私たちが平安時代の人たちと同じ言葉を話しているのではないことは、ここで持ち出すまでもありません。

しかし「ちがくない」をたとえ世界中の人間が使うような日が来たとしても、これを言葉の変化として受け入れるなどということは私には絶対にできません。

 

辞書に「現在ではこの言葉づかいも一般的に用いられる」などと書かれる日が来たら、などと想像すると我慢できません。

辞書とは多くの人が使っている言葉の使われ方を記載するものではなく、正しい使い方を教えるものなのではないのですか? 前者の役割も辞書は担っているとの意見もあるようですが、納得しがたいものです。

 

時代の流れとともにこの忌まわしい言葉が悪疫にように蔓延して、やがては日本語が宇宙人の言葉に取って代わられてしまうのでしょうか?

 

私には力はありませんが、夢を語ればこの馬鹿げた言葉を駆除し、駆逐し、絶滅させたい。

私はたった一人でも闘います。それは実にちっぽけで、勝ち目のない闘いかもしれません。たとえ世界中の人間が「ちがくない」を使っても、私だけは意地でもその言葉を使わないというささやかな反抗にすぎないのですが。

 

だれか影響力のある人が、この言葉の愚かしさを力強い説得力のある言葉で証明してくれないものでしょうか?

 

これを読んでくださっているあなたも、一度声に出して言ってみてください。「ちがくない」と。

ほんっとうに気持ちが悪い。何だ? この言葉は。私は吐き気がするくらい大っ嫌いです。こんな言葉を使う人とは絶対に友達にはなれないと思うくらいに嫌ですね。

と感情的には思うのですが、その考えは良くないよと自分をたしなめるもう一人の自分もいます。

私の言葉づかいも別の人にとっては虫唾が走るほど嫌な場合だってあるかもしれませんしね。

だから昔の賢人が言ったように「寛容の精神」がここでも必要ってことでしょうか?

 

 

それではこの辺で。

個人的な愚痴に最後まで付き合ってくださってありがとうございました。

 

冒頭で「ボコボコにぶん殴る」なんて威勢のいいことを叫んだ私でしたが、結局のところビビりながら恐るおそるつぶやくのが精いっぱいでした。

「この臆病者!」

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