荒川光のブログ

Hikaru Arakawa's blog

「骨の多い魚は食べるのが面倒くさいから嫌い」と言う人

サンマ 魚 スーパー 

 

骨の多い魚は食べるのが面倒くさいから嫌いだと言う人がいます。そして逆に、そんな面倒くさがりな人は嫌だという人も。

 

こんな会話が交わされるのは、妻や彼女が作った魚料理を夫や彼氏が食べるような場面で多いのではないでしょうか?

 

 

 

私自身はというと、その両方の意見それぞれに共感できる部分があり、どちらかに味方することができません。

骨の多い魚を食べるのは私も好きではありません。しかしそれを表立って口にすることもはばかられるのです。

 

魚を調理した側からすれば、骨が多くて食べにくくても、そんな困難をものともせずに喜んで食べてくれて、褒めてくれて、感謝されることを相手に期待するものでしょう。

それなのに料理の味や毎日同じものばかりだといったことについての不満ならまだしも、「食べにくい」などという理由で敬遠されれば良い気持ちがしないのは当然です。

 

しかし「骨の多い魚は食べるのが面倒くさいから嫌い」という人に対する反発心の原因は、それだけではなさそうな気がします。

 

もしかしたら魚を冒涜する気持ち、と言ったら大げさですが、生きている魚を殺めてその命をいただいているという意識が感じられないことが理由ではないでしょうか。

 

かくいう私もいつもその食材がもともと生きていた時の姿を思いながら食べ物を口にしているわけではありません。

今日食べられることへの感謝といった気持ちも常にあるわけではありません。

しかしまだ食べられるものを捨ててしまうことへの罪悪感だとか、食べたものを「マズイ」とか「おいしくない」と口にすることへの抵抗は常に感じます。

 

魚は人間に食べられることを想定して、食べられやすい骨の数や付き方をして生まれてきたわけではないでしょう。

それを勝手に捕まえて、包丁で切って、煮たり焼いたりして食べるのです。

それを思うと「骨が多いから面倒くさい」などという言葉は、それを作った人に対してというよりも魚に対して言えないなという気持ちになります。

 

 

たしかに食事をする時には安心して、ゆったりとした気持ちで、リラックスして食べたいものです。

ストレスを感じたり、不安になったり、血圧を上げたりするのは仕事の時だけで十分です。食事の時にはそんな感情から解き放たれて、くつろいだ時間を過ごしたい。

そんな時になぜ口の中や喉に骨が刺さったりする恐怖と闘いながら、口の中でモゴモゴと骨を探さなければならないのか?

そんな気持ちも理解できます。ただそれを口に出して言うのは上品ではないと思うのです。

 

これを書いていて、某メーカーのシュークリームを食べたときのことを思い出しました。

そのシュークリームはおいしくて何度か食べたことがあるのですが、一つだけ不満に感じていたことがありました。

それはシュークリームを口に入れて噛んだ時に中のクリームが圧迫されて、嚙み切った部分の横からむにゅ~っとはみ出てくることです。

それが口の周りに付くのがとても嫌なのです。

場合によってはシュークリームのおしりの方からはみ出して手に付いてしまうこともありました。

 

それもこれも食べる技術の未熟さが原因かもしれないと思い、食べるたびに工夫してみました。

はみ出たクリームを落とさないようにクリームを吸い込むようにして食べたり、噛むときに圧力をかけないように小さくかじるようにしたり、いろいろな方法を試みたのです。

しかしどれも上手くいきませんでした。

 

そして私が思ったのは、このシュークリームは確かに大変おいしいが、食べるにあたっての苦労が多すぎてリラックスして食べられないということです。

流れ出たクリームを落とさないように、顔を斜めにして吸い付くようにして食べながら、しだいに怒りがこみ上げてきます。

「ったくめんどくせえな」なんて愚痴を言いながらなんで食べなきゃいけないのか?

 

このシュークリームのメーカーでは商品開発の段階で「試食」ということをしないのでしょうか?

それとも社内での力関係で、この商品の開発者に対して「No!」と言うことができないのでしょうか?

もしくは消費者に苦労させて食べさせることも、メーカー側の計算に基づいた戦略なのでしょうか? 例えば気になっている異性に対して、わざと冷たく接することでかえって相手の気を引こうとする女みたいに。

もしそうだとするならば残念でした。私はこのシュークリームはもう買わないことにしています。美味しく食べて満足したいからお金を払って買うのであって、不満を抱えたりムカムカするために買うわけではないからです。

 

魚は広く気持ちの良い海で泳ぐために生まれてきた。のかどうかは分かりませんが、少なくとも人間の食糧として命を捧げるために生を受けたわけではないでしょう。

だから魚に不満を抱くのはお門違いです。

「骨の多い魚は食べるのが面倒くさい」のですが、それは口に出さずに「魚に感謝して食べる」というのが私の流儀です。

 

それにしても将来遺伝子操作などによって「種無しブドウ」ならぬ「骨無しサンマ」なんかが作られるようになったら怖いですね。