荒川光のブログ

Hikaru Arakawa's blog

猫はどうして飼い主の身体で爪とぎをしないのか?

今回は私がずっと疑問に思い続けている猫の不思議の1つについて書いてみようと思います。

 

それは何かと言いますと、猫は爪とぎ用のダンボールや、イスや壁や柱などあらゆるところで爪をとぐにもかかわらず、人間の足やひざやふとももなどでは絶対に爪とぎをしないということです。

 

「えっ、うちの猫は私の脚で爪をとごうとしてくるよ」なんていう人もいるのでしょうか? そんな恐ろしい猫を飼っている方、お気の毒さまです。

 

 

うちの白黒猫ピヨピヨ(仮名)は人体で爪をとごうとはしません。ですのできっと他の猫もそうに違いないという勝手な仮定に基づいて以下の文章を書いていきます。悪しからず。

 

ピヨピヨは人の身体で爪とぎをしないばかりか、人の身体に爪を立てることも遠慮しているのが分かります。

 

いくつか例を挙げると、私のひざの上に乗っている猫がバランスを崩して下に落ちそうになった時、ひざに爪を立ててグッと力を入れれば持ちこたえることができるはずなのにそうしないのです。

重力に逆らってふみとどまろうという意思を見せずに、なすすべもなくイスの下にストンと落ちてしまいます。

 

また、イスに座っている私のひざの上に猫が飛び乗ってくる時にも、ひざに爪を立てて腕力を使って登ってくるようなことはありません。

爪を格納した安全な肉球の状態で、軽くポンと登ってくるのです。

 

しかし壁の少し高い所にあるお気に入りの出窓に登るような時には、後ろ足のジャンプ力、そして鋭い爪と前腕の力という素晴らしい身体能力を見せつけて、1.2mもある出窓へ鮮やかに登ります。

 

この違いは一体どういうことなのでしょうか?

 

人間の身体を、イスや柱ではなく「痛みを感じる生き物の身体」として区別できているということではないでしょうか?

 

もしそうだとすると、私は猫の知能についての今までの固定観念を改めなければなりません。

 

私は猫についても動物学についても何の知識もありませんので、あくまで素人の考えにすぎませんが、私は猫には「生命」という概念などないだろうと考えていました。

猫は自分自身のことを「生きている」と自覚していないだろうし、したがっていつか「死ぬ」存在であるということも知らないだろう、と私は考えています。

 

 

では猫は何を考えて生きているのか?

何も考えていないのだろう。

と思っています。

 

そんな猫が私の脚を柱とは違うものとして認識している。もちろん言葉で認識しているわけではないでしょうけれど、ちゃんと違いを分かっていて、人体に対しては扱い方を変えているのです。

 

私の脚に爪を立てたら痛いだろうとか傷つくだろうと考えて、猫は私に気を使ってくれている。

だからこそ、ひざの上からずり落ちそうになっても抵抗もせずにそのまま落ちてしまう。

そう考えると、ひざの上からツルンと滑り落ちてしまうピヨピヨがいっそう愛おしく思えてきます。

 

もちろん落ちてもケガなどしませんし、また登ってくるだけのことなのですが、これが人のひざではなくてソファーの端っこだったなら、爪を立てて踏ん張ると思うのです。

 

でも、もしも私がビルの屋上に座っているとして、私のひざからずり落ちたら地上まで落下して命がないというような場合であれば、猫はひざにしがみつくのでしょうか?

 

そんな場合であれば、たとえひざの肉や骨に爪を突き刺してでもピヨピヨには踏ん張ってほしい。

 

猫って運動神経が良いだけで、頭の方は今一つなんて思っていましたが、もしかするととても賢くて優しい動物なのかもしれません。

あんなに可愛い格好で眠ったりするのも、ひょっとしたら計算されたポーズなのでは、なんて思えてきます。

 

いろいろ思い返してみると、人間だったら我慢していないようなことも、ピヨピヨは何事もなかったかのように知らない振りをしてくれているのではと思うことが多々あります。

 

飼われているから仕方なく服従しているのではなく、私の器の小ささや優しさの足りないところまですべて見抜いた上で、私のことを許してくれているのではと、いつもの場所で丸くなって寝ているピヨピヨを見ていて思っちゃいました。