みなさんこんにちは。
今日はとてもウキウキした気分でこの記事を書いています。
それと言うのも、長年にわたって私を悩ませてきた疑問についに答えを見出したからなのです。
「どうして私は掃除ができないのだろう?」「なんでこんなに部屋がぐちゃぐちゃになるまで放置してしまうんだろう?」
という疑問です。
その答えを今日ここで、世界中の人々にシェアしたい! みんなに聞いてほしい!
そんな気持ちで書いています。どうぞよろしく。
まずはじめに、私の部屋がどれだけ汚いかというところからお話ししましょう。
写真をお見せできれば良いのですが、恥ずかしくてとてもできません。ですのでテレビで時々やっている「片付けられない人」の部屋の様子をイメージしていただければ割と近いと思います。
「汚部屋」なんて上手く言ったものですが、まさにそれです。
「もう、バッグ一つだけ持ってこの部屋から永久に出て行きたい」とか「ガソリンをぶっかけてゴミもろとも部屋ごと燃やしてやりたい」なんて物騒な考えがチラリと脳裏をよぎったりすることもあるくらいなのです。
「片付けられない理由」や「掃除の仕方」「断捨離」などについて書かれたさまざまな書籍や記事があります。
その人の性格に起因するものや育った家庭環境によるものまでいろいろな理由、解決法が挙げられています。
しかし私には今一つ自分にピタッと当てはまるものが見つからなかったのです。
しかし、やっと分かりました。私が掃除をできない理由が。
その答えは実に単純です。
「掃除をしても何も得をしないから」
どうですか? あっけにとられましたか?
でも私にとってこの気付きは、目から鱗が落ちるような思いでした。
そうです。掃除をしても何も得はしないのです。しかし掃除をしないと損が発生する。だから損しないように人は掃除をするのです。
もっと分かりやすく例を挙げてお話ししましょう。
例えば1日休みがあったとして、その日を掃除と片付けに費やすことも可能です。
しかしその1日を仕事に使って1万円を稼ぎ、業者に頼んで1万円で掃除してもらうという手もあるでしょう。
できれば1万円を稼いで5000円で掃除をしてもらった方が得だし、もっといいのは1万円を稼いで掃除はしないという選択でしょう。
つまり私の根底にある考えは「仕事は攻め」「掃除は守り」なのです。
得というのは仕事やお金のことだけを言っているのではありません。
たとえば読書をして教養を高めるのも得に数えられるし、ランニングをして心肺能力を高めることもそう。町をブラブラして見聞を広めることも、十分な睡眠を取って健康を維持することも得なことなのです。
だけど掃除をしたって得はしない。掃除をしなければ損をする。
だから掃除をして損を減らしましょうという、引き算型の思考をするタイプの人が掃除を苦にしない人なのではないでしょうか?
「稼いでお金を貯めるのではなく、節約して貯めるタイプの人」や「運動して痩せるのではなく、食べないことで痩せようとする人」に似ているかもしれません。
ところで掃除をしないことで被る損にはどんなものが考えられるでしょうか?
思いつくままに挙げてみます。
整理整頓ができていないため必要なものが見つからず、探さなければならないという時間の損。
それが見つからなかったときにはすでに持っているものをまた買ってこなければならないという金銭面の損。
快適な部屋で生活できないという気分的な損。
といったところでしょうか。
こうやって挙げてみると、案外たいした損はないことに気付きます。
それに対して、掃除以外の時間の使い方で得をすることは数え切れないほどあります。
腕立て伏せをして大胸筋を鍛えたい。ベランダのローズマリーの植え替えもしたい。猫のブラッシングもしたい。
その他やりたいことなど100個でも200個でも思いつきます。
だから私はなかなか掃除に着手できないのです。私の中の優先順位で掃除は最下位なのです。掃除なんてしている時間がもったいない。
掃除みたいな非生産的なことをしている暇があるのなら「吾輩は猫である」でものんびり読んでいた方が100万倍得なのです。
「得」という言葉はあまり相応しいとは思いませんが「損得」「利害」の感情を分かりやすく表現するためにあえて使っています。
常に掃除や片付けが行き届いたキレイな部屋で生活している人がいます。
一見羨ましく思う反面、部屋のメンテナンスなどという不毛な行為に相当な時間を費やしていることを想像すると、もったいないなとも思います。
他にやりたいことがないのかな? もしくは掃除が趣味なのかな?
車をピカピカに磨いてワックスをかけるのが趣味の人がいるように。
そう言えば「ミニマリスト」を自称している人たちもいますよね。最低限必要な物しか持たずに、がらんどうの部屋で生活するのが好きな人たち。
物が少なければ少ないほど偉いみたいな価値観で、どこまで物を減らせるかを追求するのが趣味なんでしょう。
さてここまでの考察で、掃除ができない、やらない心理が分かりました(あくまで私個人についてですが)。
ここからはその解決策を考えていこうと思います。
「掃除なんて非生産的な行為だ」とか「掃除の優先順位は最下位だ」とか「掃除をしないことによる損はそれほと大きくない」だとか好き勝手なことを言い放ちましたが、やはり掃除はしなければならないのです。
しなくても済むのであれば問題としてここに取り上げる必要もありません。
問題も問題、大問題なのです。何しろ「部屋に火を!」なんて考えが冗談ではあるにせよ頭に浮かぶくらいなのですから。
そこで今後の方針ですが、私がたどり着いた結論はこれです。
ゴミはすぐに捨てる。
このシンプルにして力強い方法こそがゴミ屋敷をトレンディドラマ(死語?)に出てくるような部屋に変えてくれると期待しています。
しかしながら、ゴミをすぐに捨てるというのは簡単なように思えて意外と難しいものです。
一体何がゴミ捨てを難しくしているのか?
それはゴミの分別です。
元来几帳面な私はキチンと分別して捨てなければ気が済みません。
ビン、カン、ペットボトル、新聞紙、チラシ、電池などなど分別し始めたら切りがありません。
また何に分類すれば良いのか分からない物もあります。調べたり問い合わせたりしなければなりません。
それが分からないうちはとりあえず保留ということで捨てずに取っておくことになります。取っておくというと聞こえはいいですが言い換えれば放置しておくということです。
この「とりあえず保留」がクセモノなのです。「とりあえず保留」「また明日やろう」の誘惑に負け始めるとゴミ屋敷へ一直線です。
またゴミの種類によって回収してくれる日もまちまちです。ゴミの分類が終わっても回収してくれる日になるまでゴミを出すことができません。
そしてようやく待ちに待ったその日が来ても、こちらの都合で出せないことだってあります。
そうなると、モノによっては翌月の同じ日になるまで出せないなどという事態も発生します。
ゴミをすぐに捨てるのは難しいと言ったのは実にこのことなのです。
何でもかんでもごちゃ混ぜにして、ゴミの日だろうが何だろうがおかまいなく捨てられるものなら話は簡単です。
また私はアパートに住んでいるので、夜中にビンやカンをガチャガチャいわせて片付けたりすることが近所迷惑になります。
音を立てないようにソーっとゴミ袋の中にワインの空きボトルを積んでいくのは、積み木で塔を建てるように息を呑む作業です。
昼間はいつも仕事だし、夜も運転代行のアルバイトをしているので家にいる時間はほとんどありません。
わずかに家にいる時間は何をしているのか?
一生懸命、睡眠負債を返済しています。
そんなわけで積み木遊びなどしている暇はないのです。
今や早く正しくゴミを捨てるためには一つの体系的な知識、及び技術が必要とされるのです。マナーや正義感や環境保護の意識だけでは足りないのです。
ゴミ捨てというのは真剣に取り組まなければならない大仕事なのです。
しかもやったところで何の得にもならない大仕事。
ゴミ捨てには知識と技術が必要だと述べました。
ではどのようにしてそれらを身につければよいのでしょう?
それは「掃除に関する情報収集」と「掃除の実践」の繰り返しに尽きると思います。他のあらゆる種類の知識や技術に共通することでしょう。
私は今まで掃除に関心もなかったし、実際に掃除をしてこなかったので、情報収集と実践の両方の経験値が著しく低いのです。
なのでまずはその経験値を高めていき、だんだんと効率を上げていけるように修行を積んでいこうと思っています。
また、モノに対しての考え方も大事だと思います。
すべてのモノについて「購入する」⇒「消費する」⇒「捨てる」のサイクルを1セットとして意識するようにしようと思います。
自動車でも「購入する」「使用する」「売却あるいは廃車にする」という明確なルートができています。
食べ物だって「食べる」「消化吸収する」「排泄する」というサイクルがある。
人間だって「生まれる」「生きる」「死んで灰になる」というサイクルがある。
なのに私はモノを買うときに「買う」「使う」までは考えていますが、その後の「捨てる」を意識しないで生活しているのです。
モノによって寿命はさまざまですが、いつかは使用を終える時がくる。その後のサイクルを回す能力が私には欠けているのです。
そのサイクルをリズムよくクルクル回す能力を身に付けて、それが習慣になって、いちいち考えなくてもできるようになれば掃除や片付けの負担はグッと減ることでしょう。
「買うのはそんなに面倒くさくない」ことなのですから、それと同じくらいに「捨てるのもそんなに面倒くさくない」ような域に達すれば素晴らしいですね。そこを目指そうと思います。
そうなれば「掃除は不毛」だとか「掃除なんかしてるほど暇人じゃねえ」なんて悪態をつくこともなくなるでしょう。
それでは、世界中のみなさんさようなら。少しは参考になる点もございましたでしょうか?
またどこかでお会いしましょう。