可愛いだけがとりえで、その他には何の役にも立たないウチの猫。
いえ、ウチの猫に限ったことではなく、おそらく世界中の猫がそうなのでしょう。
可愛いだけでいいのです。それで十分なのです。たまには何かの役に立ってくれとも思わない。
役に立つどころかイスの背でツメを研いだり抜け毛を部屋中に撒き散らしたりうるさく鳴いたり床にゲロを吐いたりと災いばかりをもたらす害獣なのです、猫は。
ただ可愛い姿を見たり抱いたりしたいだけのために飼っているのです。
番犬はいるけど番をする猫はいないし、警察犬のように犯人を捕まえたり違法薬物のにおいを嗅ぎ分けたりもしない。
盲導犬の代わりに猫に道案内を乞うたりした日には、気がついたら他人の家の屋根に登ってたなんてことにもなりかねない。
猫は何の役にも立たない。
牛のように乳も出さなければ鶏みたいに卵も産まない。
それでいいのです。
毎日エサを食って爪を研いで昼寝をしていればいいのです。
そんなお気楽なウチの猫が、我が家にやってきて7年にして初めて称賛すべき活躍を見せました。
先日のことです。昼間は春の兆しを感じることもあるけれど、夜はまだヒーターが必要な時期だというのに、巨大なハエが1匹部屋の中を狂ったように飛び回っているではありませんか。
今年生まれた子供のハエではありません。どでかいハエです。3グラムくらいあるかもしれません。
去年のハエが冬を生き延びて、春の訪れとともにやってきたのでしょうか?
台所で独り晩飯を食っている私の頭上をブンブン飛び回るハエ。
天井から吊り下がっている蛍光灯に体当たりを繰り返し、蛍光管に積もっているホコリを頭の上に落としてくるハエ。
でも私は殺虫剤を使うのが嫌なのです。
殺虫剤はハエにも毒だけど人にも猫にも毒のはず。
こんな時、昼間であれば、窓から明るい外の世界へ出たがっているハエのために、そっと窓を開けて逃がすのです。
しかしこの時は夜だったため、ハエは外へ出ようとしません。明るい室内を飛び回りたいのです。
筒状に丸めた新聞紙でハエの打ち落としを試みましたが、無念にも空を切りました。そんなに真剣にやらなかったからです。
のんびり食事をしている最中にアドレナリンを出したり血圧を上げたりしたくなかったのです。
しかしハエにはここから居なくなってもらいたい。
ハエ如きに気分を乱されるなんてメンタルが弱いせいかもしれませんが、イライラがしだいにつのってきます。
と、その時です。ハエが低空飛行をした一瞬を我が猫は見逃しませんでした。
両手でパンと手をたたくようなやり方でハエを挟み打ちにしたのです。
複雑なハエの動きに規則を見つけ出すことはできません。盲滅法にジグザグに飛び回るその飛行の軌跡を線でつないだとしたら、1分で部屋中に蜘蛛の巣のジャングルが出来上がることでしょう。
一見デタラメのように見えるハエの動きに実は何らかの法則があって、私の猫はそれを看破したとでも言うのでしょうか?
小さな柔らかい肉球で、ハエを左右から挟んだのです。そして再び飛び立とうともがくハエを抑え込み、食べちゃったのです。
私の愛猫ピヨピヨ(仮名)が見事にやってくれました。
ハエの素早い動きを見極める動体視力、飛行の法則を冷静に分析する知能、「今、ここだ!」と狙いを定める決断力、そしてイメージした通りの最適な身のこなしで目標物を捉える身体能力。
素晴らしい。素晴らしいぞピヨピヨ。
今ピヨピヨの脳内はエンドルフィンで溢れかえっているはず。有能感、達成感、自己肯定感でご満悦。
飼いならされてぬるま湯に浸かっていたピヨピヨの、抑圧されていた野性が稲光のように煌めいた刹那、ハエはこの世界から消えてしまったのです。
さっきまであんなにうるさかったハエが忽然と姿を消したことに、まるで手品を見せられたような不思議な気分になりました。
殺虫剤で殺したり新聞紙で叩いたりしたならばそこに死骸があるはずで、次にはその処理をしなければならない。
なのに今回は私はいっさい手をくださず、猫にハエ退治を命じることすらせずに、ハエは自然の摂理によって自然界の法則に導かれてお隠れになった。
職場や学校などでいつも見慣れている異性の意外な一面を見たことで、あらためて「男」あるいは「女」として意識するようになったなどという話を聞くことがあります。
それと同じで、今回の件で私はいつもはトロいピヨピヨのワイルドな一面に触れて、俗な言葉を使えば「キュンと」しちゃったのでした。
ありがとうピヨピヨ。俺の猫。