最近熱中して取り組んでいることがあります。左利きになろうとしているのです。
もちろん今の私は右利きです。そのため「脳」「神経」「筋肉」に一大変化をもたらすべく奮闘中なのです。
子供の頃にも何度か挑戦してみたことがありました。しかし身に付く前に「習慣」という巨大な壁に前途を阻まれてしまったのでした。
今回の私は違います。本気なのです。
指の腹で点字を読める人がいます。
何百種類ものワインの味や香りを記憶できる人がいます。
音楽家、美術家、作家、スポーツ選手など、一般人には及びもつかない能力を発揮する人たちがいます。
人間の能力に限界はありません。可能性は無限大です。
もし私が事故や病気で右手を失ったとしたら、左手に頼らざるを得ないでしょう。そして左手はその期待に答えて力と器用さを獲得し、立派な働きをしてくれるようになることでしょう。
人間の脳や身体はそのように進化、成長するものではないかと思います。
そうであるならば右手の存在する今だって、左手にはそのポテンシャルはあるはずです。
私は46年間この左手と暮らしてきたにもかかわらず、左手の能力を十分に発揮させることができていない。使いこなせていない。左手は動きたがっているのに、鎖に繋いで檻に閉じ込めていたのです。
まったく宝の持ち腐れ。
今こそ左手を解放せよとの叫びが、私には聞こえます。もうその声を無視し続けることはできません。
かくしてタイトルにも掲げた宣言が生まれたのです。
「左利きになってやる! 絶対にだ!」
日常生活では次のようなことを意識しています。
携帯電話を左手で操作する。
箸を左手に持って食べる。
歯ブラシを左手で使う。
包丁を左手で使う(リンゴの皮むきも、オニオンスライスも)。
食器を洗うのも左手で。
字も左手で書く。
とにかく何をするのも左手でやる。
常に意識していないとつい右手が出てしまいます。
水道の蛇口をひねるのも、ドアノブに手を掛けるのも、缶コーヒーのフタを開けるのも、トイレットペーパーを使うのだって、気付けば右手でやってしまっているのです。
もっと言えば床に落ちているゴミを拾うというような何でもない動作でさえ、気が付けば右手でおこなっているのです。
習慣というのはすごい力を持っているのですね。私たちは半分は自分の意思で、しかしもう半分は習慣の力で生きているといってもいいかもしれません。
でもそうであるならば、逆に習慣を味方に付けていろんなことを習慣化させれば、困難に思えることもたやすく行えるようになるのではないでしょうか。これは別に真新しい考えではなく昔から言われてきていることですが。
私が弁当の製造工場で働いていることは以前にもちょっと書いたことがありますが、その工場での作業に必須の能力、それが手先の器用さなのです。
容器に盛ったご飯を平らにならす。肉や野菜を盛り付ける。容器にフタをする。出来上がった製品にラベルを貼ったりシールを貼ったりする。
これらの作業を高速かつ正確におこなわなければならないのです。
手の遅い人はその速さにとても付いていくことができません。
恐ろしい速さで流れてくる弁当の容器。そこに決まった量、決まった個数を決まった位置に置いていく。
それを可能にしているのが素早く、正確に、意図した通りに動く指先なのです。
私も毎日作業をこなすのに必死です。付いていくのが精一杯といったありさまです。
もっと手先が器用で、両手を自由自在に使えたらずっと仕事が楽になるだろうにといつも思っていました。
そんな実用的な思惑もあり、左手を開拓し鍛えてやろうと考えたのです。
外国語にいくら習熟しても母国語の能力を超えることが難しいのと同様に、私の左手が右手を凌駕することはきわめて困難なことでしょう。
しかし、私はやってやる!
「荒川さんって左利きなんですね」
「えぇ、そうなんですよ」
なんて会話が生まれてくるようになるのが理想です。
毎日の生活にちょっとした楽しみが増えました。
あなたもやってみませんか?