荒川光のブログ

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むやみに人にものを勧めるのは犯罪である

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先日会社の同僚と話をしている中で、ある映画が良いからぜひ観てみろと強く勧められました。

 

私はその映画やそのジャンルに全く興味がなかったのですが、人と対立するのが嫌いな性格が災いして、「面白そうだね」と話を合わせてしまったのです。

でもそんな風に調子を合わせて話をするのはよくあることで、別に罪なことでもないでしょう?

 

しかしその同僚は話をどんどん進めていき、自分は何回繰り返し観ただとか、このシーンのここがいいとか、ストーリーの背景だとか、等々について語りまくってくるのです。

 

自分の好きなものについて熱中して語るのは素晴らしいことです。少なくとも批判やグチや悪口ばかり口にする人に比べてずっと良い。

しかし彼の場合はちょっとくどすぎるのです。

そして私にも同じようにその映画を観ることを迫ります。私が調子を合わせている可能性があるなんて想像しないのです。

ある意味では素直で純情。相手に対する子供っぽい信頼があるのです。

 

そんな彼を見ていると、なんだか自分が猜疑心の強いひねくれた性格のように思えてくるほどです。

私だってけっこう純粋で人を信じやすいタチなんですよ。でも大人になれば相手には相手の事情ってのもあるものだって分かってきますよね。

 

押しの強い人と弱い人がいて、私は事実押しの弱い人間だってことは自分で分かっています。

相手の気持ちを慮るというか、優先させすぎちゃうんです。要は相手に嫌われたくない、相手の負担になりたくない、うっとうしく思われたくない、などと思っちゃうんですね。

まぁいわゆる草食系ってことなのでしょうかね。

相手との間に壁をつくるわけではないのですが、割と距離を置くタイプなのです。

 

同僚の映画話は終わりません。

語りつくせないからではありません。2周目に入ったのです。そして思った通り3周目に入りました。

そして彼はついに私の口から「オレもその映画、絶対観てみるよ」という言葉を引き出しました。

私は本当にその映画を観てみようと考えたのでした。

 

「今現在の自分に興味がないからといって敬遠してばかりいては、自分の世界が広がらないぞ」

「ある人間が、たとえそれが特に尊敬すべき人物ではなかったとしても、心から好きになったこと、心を揺さぶられたというものならば、体験してみる価値はあるんじゃないか?」

「そしてその感動を共有したい人間として自分を選んでくれたのだとしたら、それは感謝すべきことだし、その気持ちに答えるのが人としての誠」

そんなことを考えつつレンタルDVDの棚を探しました。

そう、その映画は100円だか108円だかで借りることができるのです。

 

TSUTAYA レンタルDVD ツタヤ

ツタヤで借りたわけではないのですが、写真だけいただきました

心のどこかでその映画が無いことを願っている自分。

「さっそくあの映画を借りようと思って行ってみたんだけど、やっぱり人気があるんだね、借りられてて無かったよ。また今度行ってみるね」

と同僚に明るく話す私。そしてやがては時が解決してくれるのを待つ私。

そんな会話を夢見ながら棚をざっと見渡しただけで、視力の良くないはずの私の目は、一瞬で目的のものを見付け出したのでした。

 

DVDを自宅へと持ち帰った私は、しかしすぐにはそれを観ようとはしませんでした。

7泊8日で借りたのですから、タイムリミットまでまだ1週間あるのです。

 

そして想像していた通り、1週間はアッという間に過ぎました。

私はそのDVDをプレイヤーに入れることもなく、返却BOXへと投入したのでした。

 

その1週間、私の中でいろんな考えが生まれては消えていきました。

酔った勢いにまかせて観てみようかという気持ちになったこともあります。

観る意思が固まったから観るというのではなく、観るための行動を起こすことで観る気分になるのだという考え方があることも知っています。先に身体を動かすことで心もそれについてくるというものです。

しかし私にはどうしても観ることができませんでした。

 

ネックになっているのがお金ではないことは、ここまで読んでくださった方にはお分かりでしょう。実際私は100円ほどの出費でそのDVDを借りてきたのですから。

私が鑑賞を受け付けなかった最大の理由は「時間」なのです。

私が今一番欲しているもの。それは「時間」。

1日に24時間しかない時間の中で、2時間をその映画に費やす。

それは想像しただけで叫び出さずにはいられないほどの時間の浪費。どんな理由を捻り出しても言い訳をしても、絶対に受け付けられない浪費なのです。

 

私は映画を観る代わりにインターネット上の情報を得ることで、あたかも実際に映画を観たかのように振舞えるように画策しました。

ネットで情報集めをするにしてもいくらかの時間を取られます。ネットでの情報集めに1時間、実際に映画を観るために2時間が必要だと仮定すると、もしかしたら1時間余計に犠牲にしなければならないとしても、その映画を完全に観ることによって得られる利益が1時間の損を上回る可能性も有り得るということも考えました。

しかし私は結局、その映画の鑑賞による利益は1時間の損失の埋め合わせをするには及ばないと判断しました。

 

そうと決まれば、後はネットでの情報収集を可能な限り短時間でおこなうことにつきます。

 

そして最終的に私はどうしたのか?

私はネットでの情報収集すらしませんでした。そして同僚には「映画観たよ、すごく面白かった」と臆面もなく言い放ったのです。

相手から映画に関する言葉を引き出し、その言葉を上手に用いながらあたかも実際に観たかのように言葉を返す。この会話の技術でその場を乗り切ったのです。

 

今後私はこの会話術に磨きをかけ、1つの体系的なテクニックとしてまとめ、このブログで発表したいと考えています。

観てもいない映画について語る。聴いてもいない音楽について語る。しかも相手と意気投合して大いに盛り上がるくらいに熱く語り合う。

そんなことができるようなスキルの研究をしていこうと決意しました。

需要は多いはず。

観たくもない映画なんて観ている暇はない。

時間のない現代人に必須のスキルになると思います。

 

そして最後に言いたいこと。

「むやみに人にものを勧めるのは犯罪である」

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