荒川光のブログ

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梶井基次郎の「檸檬」という傑作を読んだ

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米津玄師の”Lemon”も傑作ですが、それにも増して傑作なのが梶井基次郎の「檸檬」。

今から約100年前に書かれたこの小説、あなたはもう読みましたか?

 

読書家であり、また書評も数多く書いていらっしゃる某氏が、ある著書の中でこの「檸檬」を何が面白いのか全く分からないと評していらっしゃいました。

 

それを読んで私は非常にショックを受けたものです。

その書評家にガッカリもしました。

あんなに読書経験を積んでこられた方であってもこの作品の面白さが理解できないのだとしたら、読書という行為が人生にとって本当に意味があるのかと疑いたくなってしまったのです。

 

そんな出来事はすっかり忘れてしまっていたのですが、それから数年を経た最近になって「檸檬」を再読してみました。

 

再読するときというのは初めて読むときとは違ってある程度リラックスしながら読めるのが普通です。もうすでに話の内容は分かっているからです。

しかし今回の再読はいささか緊張しました。

はたしてあの時の感動は本物だったのだろうか?

某書評家の意見が正しく私が未熟だったことを思い知らされることになりはしないか?

という不安があったのです。

  

でも、読んでみて安心しました。結論を言いますと、感想は「やっぱりこの小説素晴らしい」「この作品大好き」ってものでした。

 

ではこの作品のどこがどんな風に面白いのかを説明しようと思うのですが、これがなかなか難しいのです。

一見したところでは実に馬鹿馬鹿しくてくだらない話だというのも事実なのです。

 

私はこの小説の良さをどうにかして証明し「どうだ、AIにはこの面白さは分かるまい。将来はAIが芸術や文学を作り出すなどと噂されてもいるが、この種類の面白さはお前にゃ無理だよ」とガッツポーズをしたい。「人間様の勝ちなのじゃ!」と。

 

しかしいくら頭をひねっても、自分がこの小説の何に感動しているのか、どうしても言葉にすることができないのです。

ですのでそれは今後の課題として、今日はこの作品をまだ読まれていない方のために、粗筋だけを簡単に紹介させていただきます。

 

いわゆるネタバレになりますが、すでに粗筋を知っているということがこの小説を味わう上で少しの障害にもならないことは、何度もこの作品を読み返している私が保証しますのでご安心ください。

 

 

小説の語り手である「私」は金のない、肺に病を持つ男です。年齢は書かれていませんが、おそらく若者だろうと察せられます。

行き場のない彼はあてもなく京都の街をさまよい歩きます。

そしてとある八百屋でレモンを1つ買うのです。

レモンを懐にしのばせてさらに街をさまよった彼は、丸善へと辿り着きました。

丸善というのは明治2年創業の本屋です。洋書や輸入万年筆などの文具、雑貨などを販売していたそうです。

彼は丸善に入ると画本の棚へ行き、画集をパラパラと立ち読みします。そんな折、脳裏にあるアイディアがひらめきました。

彼は画集を棚から抜き出しては積み上げていきました。どんどん積み重なっていく画集はやがてビルのように建築物の様相を呈していきます。

画集の建築物はついに完成しました。

そして最後に彼は、その最上部に、なんと先ほど買い求めたレモンをのせたのです。

次に彼の内部に2番目のアイディアが生まれました。

それをそのままにして丸善を立ち去るというものです。

彼は実行します。

そして歩きながら、自分のことをまるで書店に時限爆弾を仕掛けてきた悪漢のように夢想するのです。

「もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなに面白いだろう。」

 「そうしたらあの気詰りな丸善も粉葉みじんだろう」と。

 

 

 要約すればこんな内容の話です。

 

 

「これの一体何が面白いの?」とお感じになるでしょうか?

「腹立たしい行為だ」と眉をひそめる方もいらっしゃるでしょうか。

 

私は以前、スーパーマーケットの鮮魚コーナーに人参がポツンと置かれているのを見てギョッとしたことがありますが、それとこれとは話が違います。

恐らく人参は、購入するのをやはりやめようと考えた客が、しかし再び野菜コーナーまで戻しにいくことを面倒くさがった挙句、鮮魚の海に放流したものと推測されます。

ただの迷惑行為です。私がスーパーの店員だったら怒ってしまいますよ。

 

一方でレモン爆弾の犯人は動機が不明です。

そしてこの小説の良いところはその動機がどこにも明かされていないところにあるのです。

 

借金、肺病、憂鬱。そして小説中には描かれていない、彼にしか分からない嫌悪や不安。そんな感情のモヤモヤを両手で握って固めたものがレモンだったのでしょうか?

 

その動機は彼自身にも、もしかしたら作者にもはっきりとは説明できないのかもしれません。

太陽が眩しくて人を殺す人もいるように、真の動機というのはしばしば、明確に言語化することが難しいことがあるのです。

 

しかし動機を言語で説明できないからと言って、この小説は読者の理解を拒むものではありません。それどころか、その逆にしみじみとした共感が湧き上がってくるではありませんか。その共感の理由を上手く説明できないにもかかわらず。

 

100年も昔に京都の町で、貧しい青年がレモンを持ってブラブラと本屋へ入って行って、本の山の上にレモンを置いて出てきた。そんなふざけたような話を、現代の私たちが文字の羅列を読み取って感動することができる。

なんて素晴らしいことなんでしょう!

人間の脳ってどうなってるんでしょうか!

 

 

「わたしはロボットではありません」

「これと同じ種類のものすべてをチェックしてください」

 

人間かロボットかを識別するために、歪んだ文字列の読み取りをさせたり、信号機やバスの描かれているパネルを選ばせるテストが有名ですが、もっと高精度に人間かどうかを問うために、梶井基次郎の「檸檬」の面白さが分かるかどうかを尋ねてみるというのはどうでしょう?

 

不安そうなあなた。大丈夫ですよ。

ぜひ一度試してみてください。

そして読み終わった後、ニヤッと笑いながら心の中で呟いてください。

「私は人間だ」って。

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