荒川光のブログ

Hikaru Arakawa's blog

ラインで長文を送るのはNGだって? そんなこと言う奴はコテンパンにやっつけてやる!

ラインではどれくらいの長さの文章を送っていますか?

あなたは短文派? それとも長文派?

 

ある調査によれば、1回で送る文章が4行以上になると「長文」だと感じる人が多いのだそうです。

 

 

 

そして

「長文は読むのが面倒くさい」

「同じように長文で返さなければというプレッシャーを感じる」

「ウザイ」

「重い」

「怖い」

などの理由で歓迎されていないとのこと。

 

何行で長文だと感じるかは性別や年齢によって違いがあるようですが、いずれにしても長文のラインを敬遠する気持ちがあるのは確かなようです。

 

ラインには絵文字やスタンプなどの賑やかな機能があるためカジュアルな通信手段だと思われていますが、本質は文字によるコミュニケーションです。

 

つまり手紙のやり取りと大きな違いはないのです。

異なる点は直筆で書かなくていいということ。そして瞬時に相手にメッセージが届くということくらいでしょう。

 

現代では誰もかれもがラインをやりますよね。

ではラインがまだ無かった頃、誰もかれもが手紙を書いたり文通をしたりしていたでしょうか?

していなかったと思います。

手紙のやり取りをする人は少数派でした。

ではなぜ多くの人たちは手紙を書かなかったのか?

「字が汚くて恥ずかしいから」という人を除けば、手紙を書かない理由は、文章の読み書きに苦手意識があったからだろうと思います。

 

私は先ほど「ラインとは現代における手紙のやり取りだ」ということを述べました。

そう考えると、手紙を書くことのない人はラインもやらないはずの人なのです。

しかしながら現代では「ラインをやらない」という選択肢を選ぶことが難しくなっている。そんな選択肢はないと言っても過言ではないくらいです。

そのため本来ならばラインをやらないはずの人たちまでやらなければならない羽目になりました。

 

そうするとラインのルールやマナーは、多数派である「本来ラインに向いていない人たち」が自分たちの都合に合わせて作ります。

その結果出来上がったのが「長文は書くな」です。

 

「ラインのマナー」みたいなキーワードでちょっとネットを開いてみればすぐに分かります。

巷にあふれるラインの指南記事は「長文NG」「長文NG」の大合唱です。

「ラインはEメールとは違って、短い文章で会話をするためのツール」などという、誰かが勝手に作った規則がまことしやかに述べられています。

「長文を書くのはおじさん」「句点を打つのはダサい」などと言う人もいます。

 

「お前の都合で勝手にルールを作るなよ」と私などは思います。

 ラインの利用規約に「短文でのやり取りを推奨します」とでも書かれているって言うんですか?

(注)念のため利用規約を見てみましたが、もちろんそんなことは一言もかかれていません。当たり前だけど。

 

 

 

カラオケを例に挙げて説明しましょう。

カラオケで歌を歌うことが人付き合いの上で重要だとする社会が仮にあったとします。それゆえその社会ではカラオケを拒否して生きていくことが難しいのです。

そしてその社会には歌の上手な一部の人と、歌の苦手な大多数の人がいるとします。

そうするとこんな暗黙のルールが生まれてはこないでしょうか?

 

「カラオケでは難しい歌を歌わない」

「感動させるようなバラードは歌わない」

「誰が歌っても大差ないような簡単な歌を歌うのが常識」

 

Official髭男dismなんかを熱唱しようものなら

「そんなことはよそでやってくれ」

「カラオケボックスはそういう歌を歌う場所ではない」

と批判されるかもしれません。

 

これと同様のいきさつで、長文のラインを悪とみなす風潮が出来上がったものと推測します。

 

しかし私が思うに、長文それ自体には何の罪もないのです。

相手の嗜好や言語能力を考慮せずに、一方的に長文を送る「人」が悪いのです。

受け取った人がどう感じるかが答えなのです。

 

カラオケの例をもう一度使わせてもらいます。

玉置浩二と井上陽水が遊びでカラオケボックスに行ったとしましょう。

そのときに彼らが何を歌おうかと思案した挙句、カラオケのマナーに照らして「ガッチャマン」や「キャンディキャンディ」を歌わなければならないのでしょうか?

 「少年時代」を歌うのはマナー違反で、 相手を不愉快な気分にさせますか?

 

でも会社の飲み会のあと、気乗りしないままみんなでカラオケボックスに行かなければならないとしましょう。

そのときに玉置浩二ばりの歌唱力のある人が「ワインレッドの心」を歌うのはマナー違反だと感じる人はいるかもしれません。

先ほど私が提示した仮定の社会においては。

 

上記の例からも分かる通り、短文にするのか長文にするのかは、それがラインかEメールかというようなプラットフォームで判断するのではなく、やり取りする「相手」で決めれば良いと思います。

相手と自分との間で心地良いコミュニケーションを取るための気遣いができていれば良いのではないでしょうか。

互いにやり取りする中で、少しずつルール作りをしていけば良いのです。

 

テニスの錦織圭が、私と遊びでボールの打ち合いをすることになったとして、時速150kmのサーブをぶち込んでくるでしょうか?

そんなことをしたらラリーが成り立たないでしょう?

その一球で終わってしまうでしょう?

そんなボールは既読無視するしかないのです。

 

ラリーが続かないのは私の力不足のせいですが、私の力量を見極めた上で手加減して打ってくれればラリーは続けられるのです。

そして私ではなく大坂なおみが相手であれば、また違った対応をすれば良いのです。

 

ラインのやり取りも言葉のラリーだと捉えるならば、楽しくラリーを続けるためにどうすれば良いのか自ずと答えが出てくるはずです。

 

そう、長文の方が心地良いと感じる人同士だったら長文で送ればいい。

短文派同士は短文で。

そして長文派と短文派とのやり取りでは、短文派に合わせてやれば良いのです。

 

私の場合は初めてラインでやり取りする相手には短文で送ります。

そして相手の返信を見ながら何度かやり取りをする中で、少しずつ方針を固めていきます。

 

もうお分かりかと思いますが、私はラインを長文でやり取りするのが好きなタイプです。

短い文章をいくつもの小さい「ふきだし」に分けて、ちょこまかと送ってくる人を見ると「自分の中で話す内容をまとめてから送ってこい」と言いたくなります。

 

 

 

あるカップルのラインのやり取りを見てみましょう。

 

男「こんばんは」

(30分後に)

女「こんばんは」

(30分後に)

男「もうご飯食べた?」

(30分後に)

女「食べたよ」

(男が「何食べ」まで返信を打っているところへ追加で)

女「ハンバーグ食べたんだ」

(男が「何食べ」を消して「美味しかっ」まで返信を打っているところへ追加で)

女「美味しかったよ。のぼる君はもう食べた?」

(追加のメッセージがこないか5分ほど待ってから)

男「僕も食べたよ」

 

こんなどうでもいい会話に1時間半以上もかかっているのです。

このラインでは女が3つの「ふきだし」に分けて文章を送っています。

でもこれ、1つのふきだしに全部入れて送ればいいじゃないですか。長文になっちゃマズいとでも思ったんですかね。

まぁ、私が創作した会話ですけど。

 

私たちはずっとスマホを監視しながら時間を過ごすわけにはいきません。

ラインの通知に気付かないこともあるし、すぐに返信できないこともあります。

だから例に挙げた会話のように、1往復させるのに1時間もかかってしまうことがあるのです。

会話をしたいんだったら電話すればいいでしょ。

ラインのトーク画面を開いてるんだったら、文字を打つんじゃなくて電話のマークをタップすればいいだけです。

 

もし文章でのやり取りをしたいんだったら、私ならたとえ長文になったとしても手紙を書くみたいに書きますね。

相手は時間の空いた時にゆっくり読んで、ゆっくり考えて返信を書いて、寝る前にでも次の日にでも送ってくれればいい。

そうすればたとえ1往復しかできないとしても十分に満足できるコミュニケーションが取れるはずです。

「それはラインではなくてEメールでやれ」って?

だからラインかEメールかでやり方を決めるんじゃなくて、相手で決めるべきだって言ったでしょ。

 

昔の人は便箋に万年筆なんかで手紙を書いて、時には何度も書き直しをして、四つ葉のクローバーを挟んだりして、香水を少し吹きかけたりもして、封筒に入れて、宛名を書いて、切手を貼って、ポストに投函したのです。

 

数日後に、切手に消印の押された手紙が相手の郵便受けに入れられる。

受け取った人は、はやる心を抑えながら恐るおそる封を切り、手紙を広げ、時間をかけて読むのです。

そしてまた時間をかけて返信をしたためる。

 

こんなやり取りを好まない人は手紙という連絡手段は使わなかった。

代わりに電話や、対面での会話や、非言語のコミュニケーションを選んだのです。

それで良いのです。

人それぞれに得意な、あるいは不得意なコミュニケーション方法があるのですから。

 

だからラインも苦手なのであれば使う必要はないはずなのですが、実際問題としてそれは不可能に近い。 

そんなわけで「長文はNG」というマナーができたとしても、彼らのことを思えば仕方がないのかもしれません。

そうでもしなければラインができないんだから。

 

短文に絵文字を付けたり、スタンプを送ったりすることで、「厳密に」ではないけれども「なんとなくの気分」を伝え合う。

それで楽しんでいるんだからそれでいいじゃないか、と思うしかないですね。

 

 

ここまでこの記事を読んでくださったあなたは、きっと私と同じ長文派ですよね。

短文派だったとしたら、もうとっくにページを閉じているはずですから。

 

だから最後に、同志であるあなたに、ささやき声でこっそりと伝えます。

短文派の人たちに聞かれたら真っ赤になって怒り出すかもしれないから。

 

手加減してあげましょ。

相手の力量に合わせてあげましょ。

長文は読めないんだって、可哀そうに。