荒川光のブログ

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横断歩道を渡ろうとしている人がいたら車は止まろうね

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目次

 

横断歩道の手前で2台のクルマがピタリと止まった奇跡

クルマを走らせていたときの話です。

前方に横断歩道があって、一人の男性が横断歩道を渡ろうとしていました。

交通量の少ない田舎町の一本道です。

歩行者に気付いた私は横断歩道の手前でクルマを停止させました。

同じタイミングで反対側から対向車が来ていました。

私は「きっと対向車は止まらないだろう」と思っていました。

止まるクルマは少ないのです。

 

対向車線にはそのクルマ1台しか走っていません。

歩行者は対向車が走り過ぎた後で横断歩道を渡ればいいだろう。

そんな風に考えていました。

 

ところがどうでしょう。

対向車は私と時を同じくして横断歩道の手前でピタリと止まったのです。

 

私の目は一瞬感動の涙でうるみました。

早朝の光に照らされた2台のクルマが誰に指示されるでもなく同じ行動を取ったのです。そして歩行者はまるでレッドカーペットの上を歩むがごとく進んで行く。

 

私は対向車の運転手に手を挙げて挨拶したい気分でした。

「イェーイ」と叫んでハイタッチしたい気分。

 

息の合ったスポーツ選手同志が、無言のコミュニケーションで絶妙なプレイを生み出すように、私たちも「停止」という美しいパフォーマンスを見せたのです。

同じ価値観を持つもの同士が、共同作業で1つの作品を作り上げた瞬間でした。

 

横断歩道を渡ろうとしている歩行者がいる場合、クルマは停止して歩行者に道を譲らなければならない。

あなたはこの交通ルールを知っていましたか?

そしてそのルールを守っていますか?

 

 

それにしてもいろんな事情で止まらない、止まれないまま走り過ぎるクルマのなんと多いことでしょう。

私は日々そんな状況を目の当たりにしています。

そんなわけで、今回は横断歩道をテーマに書いていきます。

 

横断歩道でクルマが止まらない理由

止まらない理由はいくつかあるでしょう。

思いつくままに述べていきたいと思います。

 

歩行者に気付かない

クルマの運転は車道でおこなうものだから道路上に注意が集中してしまいがちです。

道路の外側(歩道)にも注意を払いましょう。

歩道は可愛い女の子が歩いているときにだけ目をやるものではないのです。

 

横断歩道に気付かない

横断歩道の手前には、道路上に白いペイントで菱形のマークが縦に2つ描かれています。

菱形のマークのすぐ先には横断歩道があるのです。

これを覚えておくと横断歩道を見落とすリスクが低くなります。

 

スピードの出し過ぎでブレーキが間に合わない

制限速度以上にスピードを出していると横断歩道を発見しても安全に止まることができません。

あたりまえ。

 

急いでいるので止まりたくない

そんな・・・。

あなたの勝手な都合でしょ。

 

自分が止まることで後続車が嫌がるのではないかという誤解

後ろのクルマのドライバーが「チッ」と舌打ちして「止まるなよ、ノロマ」と悪態をついてくるのではと想像するあなた。かなりのネガティブ思考の持ち主ですね。

他人の顔色を窺ったり過剰に空気を読んだりして、生きづらさを感じることがあるのではないですか?

正しいことをするのに躊躇は要りませんよ。

 

自分が止まっても対向車が止まってくれないのではないかという不安

自分は止まって歩行者に道を譲ろうとしているのに対向車が一向に止まらず、いつまでも歩行者が横断できないということは確かにあります。

しかしその不安を理由に止まらないという意気地なしはクルマの運転をやめた方がいいでしょう。

「対向車が止まれば自分も止まる。でもこちらが先には止まらない」

道路はこんな神経戦を行う場ではないのです。 

止まるのはルールですから。

 

「私は止まったが対向車は止まらない」という経験談

先ほど述べた「自分は停まっているのに対向車が止まらない」ということは私自身が何度も経験しています。

それについて少しお話します。

 

停まっている私を嘲笑うかのように対向車は1台また1台と通り過ぎていく。

「一体どれだけ待てばいいんだ?」という疑問が湧いてきます。

異様に時間が長く感じられるのはこんな場合によくある錯覚で、実はそれほど時が経っているわけではないとも考えてみます。

しかし経過する時間の感じ方は主観に左右されるけれども、通り過ぎて行く対向車の数は1台2台と数えていくことができるのです。

100台を数えるまでその場に停止し続けることは難しいでしょう。

さすがに後ろのクルマがクラクションを鳴らすかもしれません。

どこまで我慢できるかはその時の状況次第であると思います。

 

しかし、もしここで私が持ちこたえることができずにクルマを走らせ、その場を逃げ出したとしたらどうでしょう?

横断歩道を渡ろうとしている歩行者の絶望感はいかほどでしょうか?

大袈裟にではなく「悲しい」気持ちが胸に押し寄せてきはしないでしょうか?

それを思うと私は苦しくてその場を動くことができないのです。

 

歩行者だって辛いはずです。

自分が道路わきに立っているせいで片側の車線を封鎖し、止まったドライバーを焦燥で汗まみれにしている。

自分は何も悪くないのに、まるで針のむしろだ。

世をはかなむような気分にもなりかねない。

「日本はもうダメだ」なんて飛躍した思考が頭をもたげてこないともかぎらない。

 

「もう、道路を渡るのは諦めようかな」

そんな思いが心を掠めるかもしれません。

「横断歩道を渡る権利を行使するよりも大切なことがあるのかもしれない」なんて屈服したような気分になって。

 

しかし今度は逆に、歩行者がいたたまれない気持ちから横断を断念し、踵を返してその場を去ったとしたらどうでしょう?

今まで辛抱強く待ち続けた、停まっているクルマのドライバーはどんな気持ちになるでしょう?

解放されたことにホッとするでしょうか?

それとも何か腑に落ちないような、納得できない怒りを覚えるでしょうか?

自分たちが協力して成し遂げようとしていた挑戦に、歩行者は一人背を向けて「降りて」しまったのだと。

 

私たちが置かれている状況は1つのパズルなのです。

「歩行者」「停まっているクルマ」そしてそこにもう1台の「選ばれしクルマ」というピースがパキーンと音を立てて「はまる」ことで完成するパズル。

まるでテトリスの4段のブロックが、待ち望まれた1本の棒によって天に昇華されるように、あと1台の「停止するクルマ」が歩行者を対岸へと導くのです。

 

私は10台くらいの対向車が通り過ぎるのを耐えたことがあります。

たった10台かもしれません。

しかし10台目のクルマが止まってくれることを知っていて待つのと、そうでないのとでは待つことの重みが異なります。

 

ようやく1台のクルマが止まってくれた。

それが当たり前の行動なのですが、その時の私には慈悲に満ち溢れたものに見えました。

歩行者はそのクルマに会釈をして横断歩道を走って渡りました。

私にはもっと深々と頭を下げて、本当に申し訳なさそうな様子で。

 

私も歩行者に気付かずに通り過ぎてしまったことが

小学生の男の子が選手宣誓をするように片手をピンと空へ伸ばし、自分の存在をできるだけ大きく見せるかのようにして歩道に立っていました。

彼は横断歩道を渡ろうとしていたのです。

 

私はその姿に気付くのが遅れ、停止することができずに少年の横を通り過ぎてしまいました。

「止まれなくてゴメン。無視したんじゃないんだよ。信じて」

と心の中でつぶやきました。

戻って少年に謝ろうかとも思いました。

 

クルマの窓から見た少年の姿は怒りや屈辱や悲嘆などとは無縁でした。

ヒッチハイカーが行き先を書いたボードを持って道路わきに立っているのと同じくらいの辛抱強さで、クルマが止まってくれるのを待っているように見えました。

止まらないクルマへの苛立ちさえもよおさないほどの、乾燥したような清潔感をまとって立っていたのです。

 

その姿に甘えて、私は少年のところへは戻りませんでした。

彼は「許す」という高潔なおこないよりもさらに上の高潔さである「そもそも怒らない」という境地にいるように感じたからです。

言葉で書くと言い訳じみて聞こえるかもしれませんが、本当です。

謝ることすら不作法に思われるほどに、空に手を伸ばしていた少年は澄んでいました。

 

私はこの経験から他人の交通違反にも寛容であろうと決めました。

横断歩道で止まらないクルマを許そうと。 

 

止まることに慣れよう

歩行者に気付いていても止まれない理由は他にもあります。

イレギュラーな行動を起こすことをためらう心理が働くためです。

前後のクルマの流れに乗って自分も同様の行動を取る方が安心なのです。

「前のクルマは行った。後のクルマも行くだろう。だから私も行こう」

こんな気持ちです。

「前のクルマは行った。後のクルマも行くだろう。でも私は止まる」

この判断には勇気が必要です。

もしかしたら「私の判断」は間違っているかもしれない。

前のクルマが止まらずに行く行動を取ったのだから、その行動が正しい可能性は高い。

それに反して「いや、それは違う」と異をとなえることにはパワーが必要です。

しかも熟考するための時間は与えられていません。

そんな時に「前のクルマに倣おう」という解決策の誘惑に勝てなくても不思議ではないでしょう。

 

止まることに慣れましょう。

止まり慣れていないと止まることへの違和感を拭えません。

思い切って自分の判断で止まってみる。

その繰り返しによって自信を持って止まる判断をくだせるようになってくると思います。

 

この道路に横断歩道を設置すること自体が間違いじゃないか?

私が住んでいる田舎の県には、片側2車線ずつの4車線の道路に信号機のない横断歩道が設置されています。

そんな道路が何本もあり、そんな横断歩道が何か所もあるのです。

都会でもあるんですか? あまり都会へ行ったことがないのですが。

 

そしてそれらの道路の制限速度は時速60kmです。

本当はいけないことですが、実際には時速70km近くでクルマが流れているのが現状です。

その道路に横断歩道。

 

この横断歩道を歩行者が渡ろうとしていたら、はたしてクルマは止まるのでしょうか?

渡ろうと試みる歩行者をただの一度も見たことがありませんのでどうなるのかは分かりません。

自分が実際に歩行者になって実験してみたいものです。

 

交通量も多い道路です。

一人の歩行者を横断させるためには4台のクルマが道路上に停車しなければなりません。

高速道路の本線上で停車するのに近い危険があると思います。

 

横断しようとしている歩行者に一番近い車線を走っているクルマが横断歩道の手前で停車したとします。

歩行者が道路を横切ろうと歩き出したとき、停車しているクルマの横を追い越すように別のクルマが通り過ぎるかもしれません。

そんなことがないように、横断歩道の手前で停車しているクルマがあればそのクルマに並んで一時停止しなければならないことになっています。

しかしそのルールを守って停車するクルマがいるとは私には思えません。

この道路上で停車するなどということは、およそ想像し難い異様な状況なのです。

 

歩行者が道路のセンターライン付近まで進んだとして、もし対向車が止まらなければこの歩行者は中央分離帯のない道路の真ん中で立往生することになります。

この状況でもやはり止まらないクルマに非があるのでしょうか?

もちろんそうでしょうとも。

道路交通法という法律があるのですから。

しかし私はこの道路のこの場所に横断歩道を設置したこと自体がとんでもない間違いだと考えています。

事実こんな恐ろしい道路を横断しようなどという人は一人もいません。

いつ、誰が、どういう経緯でここに横断歩道を設置したのか確かめてみたいものです。

それとも設置した当時と現在とでは交通の状況が大きく変化してしまったのでしょうか?

 

とは言え、こういう横断歩道もあるんだということを私たちは知っておいた方がいいでしょう。

そして「横断歩道では歩行者を優先させて、クルマは止まるものだ」ということがさらに周知され、道路交通がもっと成熟するといいですね。

そうすれば「危険な横断歩道」に対する議論も深まりますし、やがては安全を考慮して撤去という選択肢も生まれてくるかもしれません。

 

みんな、横断歩道を渡ろうとしている人がいたら、勇気を出して止まろうね。ね。

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