荒川光のブログ

Hikaru Arakawa's blog

サッカーのPK戦を観て考えたこと

2020東京オリンピック。

男子サッカー日本代表は、準々決勝のニュージーランド戦において延長戦でも決着がつかずPK戦にもつれ込みました。

 

PK戦ほど見ていて苦しい気持ちになるものはありません。

心臓に悪くて見ていられない。

 

 

 

一体誰があんなに非情で冷酷なルールを作ったんだ?

「問答無用」と言わんばかりの残酷さ。

そしてその残酷さと表裏一体の単純明快という潔さ。

ドライアイスで火傷するような状況です。

選手たちの胸の内はいかばかりでしょうか?

私などには想像もつきません。

 

あんな緊張感の中で自分の人生を生きたことが私にはあるだろうか? 

と自問せずにはいられません。

 

思うに私は一発勝負を好まないタチだ。

話すよりも書く方が好きなのも、つまりは訂正、修正、推敲が可能だからなのです。

人が話すとき、一度口から出た言葉はもう取り戻すことはできないから。

 

料理を作るときでも焼くよりも煮る方を選んでしまう。

焼くのは一発勝負。焦がしたものは元には戻せない。

しかし煮込み料理ならどうだろう。

味見しながら少しずつ調味料を足していくことも可能だし、濃ければ薄めることだってできる。

 

私はこのように一発で決めることに怯え、「保留」という技法を適宜使いながら、失敗しないように少しずつ整えていき、この辺りで良しとしようかというところでどうにか幕引きをする。

そんな生き方をしてきたのです。

 

ブログの記事を書くときも同様です。

一気呵成に書き上げて公開までもっていくなんていうことは考えられません。

書いては消して書いては消してを繰り返し、語句を差し替えたり段落の順序を入れ替えたり、表現を変えてみたりやっぱり元に戻したり、チマチマチマチマ、グチグチグチグチやってやっとこさ出来上がり。

 

それでもまだ公開する決心がつかず、日を置いてから再び読み返して、また訂正して、不安材料を全部消してからなんとか自分を安心させて、「えーいっ」と勢いをつけて公開ボタンを押すのです。

 

ようするに怖がりなんですね。

ブログやTwitterやインスタグラムなどでポンポンポンポン投稿できる人が本当に羨ましい。

いや、本心ですよ。ほんのちょっぴり嫌味も混じってますけどね。

イソップ寓話にある「酸っぱい葡萄」の話と同じで、自分にないものを持っている人への妬みからちょっと皮肉を言ってみたかったのです。ごめんなさい。

 

そんな私ですから、スポーツ観戦でも一発で勝負がつくものよりも何回かチャレンジできる競技の方が安心して見ていられます。

 

私には一発勝負に耐えられるだけのメンタルがない。

人には得手不得手がありますしいろんな性格があっていいとも思いますが、私のこの性格は明らかな欠点であると自分では考えています。

 

人生における重要な決断を先送りにして、白黒つけるのを後回しにして、ずっと保留にしたままで、来年私は50歳になります。

モラトリアムのような気分の未熟な中年の出来上がりってわけです。

 

「オレも若い頃はもっと勇敢だった」なんて少しセンチメンタルな気分に襲われました。

「若い頃は」などという語句は口にはしないし、心にも浮かばないように用心していたはずなのに。

 

私はもうそろそろ、その場その場で決着をつけるという「待ったなし」の状況に自分をもっていかなければならない。

さもないと「死ぬまで保留」という生き方をズルズルとしてしまいそうです。

 

 

 

私が結婚していないのも、まぁ理由はいろいろあるのですが、「今はまだ決めない」「でもいつか決めるかも」「決めるだろう」「決めるはず」「でも今じゃない」というように、決定を先送りする性格も一因だと考えています。

もっとも相手がいないということが最大の要因なのですが。

 

考えてみれば私たちの毎日が常に一発勝負、真剣勝負であるべきなのではないか?

日常生活のさまざまな局面で留保したり後回しにしたりしていることがある。

それを止めてその瞬間瞬間にケリをつけていく。

そんな小さな決断の連続があってこそ、その先で大きな決断も可能になるのではないか。

 

ちまたでよく耳にする「選手から勇気をもらった」というような声に私は常々違和感を覚えていました。たんなる「気分」の表明のように思えたからです。

しかし今ここで、先日のPK戦を戦った選手たちに「私も勇気をもらった」と正直に告白しておきましょう。

たんなる「気分」ではなく、自分の中で持続して燃え続ける炎のように実体のある「意思」を自覚しながら。

 

PK戦という多分に運にも左右されるような危険な瞬間に、冷静に自分を律して挑んだ選手たちに敬意を表します。

そしてこんな私にもテレビの画面越しに彼らの勇気が宿りますように。

 

 

なんだか今日は、いつにもなく感傷的な、思春期の学生の日記みたいなものを書いてしまいました。

普段なら公開せずに下書きのまま眠らせておくところなのですが、今日は一丁度胸だめしだ。

なけなしの勇気を奮って、思い切ってシュートだ。

 

入れ!