禁酒を始めてから約1ヵ月半がたった今日この頃。
自分でも予期していなかった驚くべき現象が起こりました。
それはここ最近、自分が禁酒していたことをすっかり忘れていたということ。
禁酒していたことを忘れて飲んでいたのかって?
いいえ、違います。
まったく酒を飲みたいとも思わなくなって、食事の時に水を飲むのが当たり前の習慣になって、禁酒していたことすら忘れてしまっていたのです。
つまり酒が頭によぎることすらなくなっていたのです。
こんなことってあるのでしょうか?
いくら物忘れの激しい私だとしても、四半世紀飲み続けてきた酒を、わずか禁酒1ヵ月半にしてすっかり忘れてしまっていたなんて。そんな馬鹿な!
でも、これは本当の話なのです。
禁酒を始めてから今までの間で、禁を破りかねないほどに飲みたくなったのは、最初の3、4日くらいです。
それを過ぎると我慢することがそれほど苦痛ではなくなりました。
時々思い出したようにアルコールへの渇望がぶり返すことは何度かありましたが、その闘いにはそれほど苦戦することなく、私は勝利しました。
炭酸水は安く手に入る上、ビールの代役を十分にはたしてくれました。
私が普段からテレビをほとんど観ないことも有利に働いたと思います。
ビールのコマーシャルは非常によくできていて、あれを観ると絶対に飲みたくなるからです。飲みたい気持ちにさせるために作っているのですから当然と言えば当然のことですが。
しかし酒を飲まずにいられた一番の要因は何かというと、私の今の生活が、これまでの人生の中でかつてないほどストレスの少ないものだということです。
禁酒に失敗する原因はいくつかあると思いますが、最も大きな原因は(医療機関での処置が必要な離脱症状を除けば)酒場やCMなどからの誘惑ではなく、ストレスではないかと思います。
どんな人間でも、生きている限りストレスから無縁ではいられません。
頭が良かろうと金持ちであろうと美人であろうと、誰もが何かしらのストレスを抱えながら生きているに違いありません。
そしてそんなストレスがアルコールにスーっと溶けていって、とても楽な気分になる。それが根本的な解決になるわけではないけれど、また明日、解決に向けて努力すれば良いのであって、今はしばし心を休めたい。
そんなアルコールの優しい愛撫を毎晩受けている者たちは、それぞれが抱えるストレスの大きさに比例して、アルコールとの別れのつらさも大きくなるのです。
眠りに就く前のひと時、ストレスから自由になりたい。
それを心の弱さだとは思いません。
少し楽になりたいという気持ちに何の罪があるのでしょうか?
しかしながら、アルコールと決別するためにはアルコール以外の方法でストレスと向き合わなければならないのです。
アスコールとストレスは常にセットで考えなければならないと思います。
ここでちょっと余談ですが、聞いた話によりますと、タバコのニコチンは人間の脳に「快」の感覚をもたらすのに対して、アルコールは「不快」の感覚を消し去るという、別種の働きがあるそうです。
どちらも依存状態になると絶つことが難しい嗜好品である点では似ているのですが、脳に対する作用の仕方は異なるそうなのです。
私は25歳頃にタバコをやめることができたのですが、喫煙期間はわずか5年ほどで、なおかつ1日に数本吸う程度のライトスモーカーだったにもかかわらず、禁煙を成し遂げるためには、今おこなっている禁酒の比ではないほど大きなエネルギーが必要だったことを覚えています。
私はいともたやすく禁酒に成功したことに、あっけにとられています。
25年間、ほぼ毎日、大量に飲んできたにもかかわらず、この結果なのです。
勝因は先ほども述べた通り、今の私が比較的ストレスの少ない時期にいるからだと分析しています。
念のために付け加えておきますが、今の私が順風満帆の状態だということではありません。
詳しくは述べませんが、経済的に非常に苦しい状況にあるのです。
消費者金融7社からの借入金の返済ができず、給料を差し押さえられ・・・などを想像していただければほぼ当たりだと思います。
しかしそんな状況の私ではありますが、それでも今の私の生活はこれまでの人生にないほど穏やかなものです(仕事の内容や職場の環境、人間関係などが)。
様々な小さなストレスはあれど、精神を害するほどの強烈なストレスがない。
禁酒にもってこいの、良い時期だったのだと思います。
今この記事を読んでくださっている方は、きっと禁酒に興味がある、あるいは実際に禁酒に取り組んでいらっしゃる方だろうと思います。
禁酒に成功していい気になっているわけではありませんが、僭越ながら私から何かアドバイスめいた助言ができるとすれば、「石にかじりついてでも酒を断つ」という気概よりも、今の生活の中で強いストレスとなっているものを取り除くという方法が近道ではないでしょうか?
いわば「急がば回れ」作戦といいますか「北風と太陽」作戦といいますか「風が吹けば桶屋が儲かる」作戦といいましょうか。
禁酒を成功させるには動機や方法も大切ですが、「時期」も非常に重要だと思います。
日常の激しいストレスに禁酒のストレスが加わり、その上もし禁酒に失敗したときの自己嫌悪感や自己否定感、自分は意思の弱い無力な人間だという敗北感・・・。
そういった負の気分はアルコール以上に自分の心身を傷つける凶器になると思います。
負ける戦いをせず、勝てる状況を整えてから勝てる戦いにだけ挑むことが勝つ秘訣だという言葉も聞いた記憶があります(出典はなんでしたっけ?)。
先日私は某コンビニエンスストアで、お気に入りの500円くらいの赤ワインを手に取りました。
自分を試してみたのです。
ワインのボトルを、かつての私がしていたのと同じように買物カゴの中に入れてみました。左腕にさげた空っぽの買物カゴに、ワインボトルをそっと置いてみたのです。
ボトルは以前よりも少しだけ腕に重いように感じました。そして一瞬、心に微かな誘惑のさざ波が立ちました。
しかしさざ波は大きな波には成長せずにすぐに静まってくれました。
すっかり元通りの精神状態に回復した私は自信をもってボトルの首をつかむと、余裕しゃくしゃくで元の棚に戻しました。
もちろん店員や他の客が見ていない時をみはからってのことです。
もし誰かに見られたら、アルコール依存者が買おうか買うまいか逡巡していると誤解されかねません。
私がおこなったのはたんなる確認だったのです。その必要もないほど明確に分かっている答えの、再確認。
なんならビールを1本買って帰って、冷蔵庫で美味しそうにキンキンに冷やしておいて、それでも風呂上がりに飲まないでいられるか試しても良かったのですが、さすがにそこまでの自虐趣味はありません。
結局私はポテトチップスとチョコレートを買って店を出ました。
トランス脂肪酸と砂糖を肴に、独りっきりの炭酸水パーティーをやろうと企てたのです。
それでも酒を飲むより10倍身体にいいだろうと考えて。
いや、悪さ加減が10分の1で済むだろうと考えて・・・。本当はどっちもどっちだと思うのですが。
最近は禁酒の完成度がより高くなってきて、ポテトチップスもチョコレートも炭酸水も必要なくなりました。
冷やした水道水(カートリッジ式の浄水フィルターを通してあります)だけです。
そしてついには「禁酒」という言葉自体が私に無関係なものになったのです。
元々お酒を飲まない人は禁酒していません。たんに「飲まない人」なのです。
私も今、そうなりました。禁酒しているのではなく、たんに飲まない人に。
あんなに長期間飲んでいた酒をあっという間に忘れられた自分を、少し薄情に思う余裕すらあります。
あんなに愛した女を、あるいはあんなに執着した片思いの女を、いともあっけなく、悪気もなく、屈託もなく、忘れ去ってしまうように、私は酒を、忘れ去ったのです。
いつの日か、何かの拍子にフッと過去の私を思い出して、照れ笑いしている自分を体験する日がくるのが楽しみです。
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