King Gnuというバンドを知ったのはごく最近のことです。ネットの記事だかツイッターだかで名前を知ったのでした。
「Prayer X」のミュージックビデオを見たのが最初だったと思います。
聴きながら(観ながら)頭の中は嫌悪感であふれかえりました。
「ケッ、なんだコイツら、いけすかねぇな」って感じ。
途中で聴くのを止めて、でも一応他にも2、3曲は聴いてみるかと思い、次に聴いたのが「Tokyo Rendez-Vous」。
「ふざけんな、おまえら」
でもそんな反発心とは裏腹に、自分でも認めたくない「もっと聴きたい」「もっと知りたい」という欲求が湧き上がってきて、私の理性を僅差で上回ったのです。
そう、私はもう自分で分かっていたのです。この嫌悪感や反発心の正体を。
それがまぎれもなく「嫉妬」だということを。
嫉妬なんてバカバカしいとお思いでしょうか?
音楽上のライバルならともかく、おまえに何の関係もなかろうと思われるでしょうか?
確かにそうです。私が彼らにそんな感情を抱くなんてお門違いもいいところ。
しかし私は頭を混乱させられたのです。
今まで生きてきた中で作り上げてきた価値観、音楽を聴くための土台、そういったものを壊されるかもしれないという不安がよぎったのです。
今までの延長線上で安心して聴ける音楽は、私を傷つけません。
弱い私は自分を守るために、私に危害を加えるかもしれない音楽に、先制攻撃をしかけました。
彼らの欠点を暴き出そうと試みたのです。
「ただのこけおどしだろ、だまされんなよおまえ」
そう自分に言い聞かせながら、罵倒の言葉を準備しつつ、用心深くアラ探しをしている自分がいました。
彼らが偽物であってほしかった。
そうすれば私はガッカリしたふりをし、ほら見ろとあざ笑い、元の退屈な日常に戻っていくことができるのですから。
しかし私の希望はかないませんでした。
勝てない相手だという最初の予感はやはり的中してしまった。
「一体何者だよ、こいつら。なんて歌を歌いやがる」
どの曲を聴いても思うのは、同じ人が作って同じバンドが演奏している曲とは思えないってことです。どの曲もてんでんばらばらで、互いにまったく似たところがないのです。
バラエティに富むという形容もちょっと違うような気がします。私のイメージする「バラエティに富む」こととは「本体が明確にあった上で、いろんな変化球を投げられる」ことなのですが、このKing Gnuというバンドは「本体」が何なのか一向に見えてこない。
「本体がどうのこうのってうるせえよ。全部がオレたちだ」って本人たちは言うでしょう、きっと。
分かってますとも。
統一感がないとかバンドとしてのカラーやアイデンティティがないとかそんなことを言ってるのではないのです。
こんな不思議な人たちって見たことないなっていう驚きです。
彼らの才能の懐が、私の理解をはるかに超えて深いがゆえの現象なのです。
現実問題として「King Gnuってどんな感じのバンド?」と人に聞かれたら何と答えればいいのでしょう?
「たとえば〇〇みたいな感じだよ」と似たようなバンド、あるいは似たようなテイストの曲を挙げられればよいのですが、できないのです。
「1回聴いてみ。ムカムカするかもしれないけど。10回くらい聴けば気に入るかも」って答えるしかなさそうです。
私は1週間ほどの間で一体どれくらい彼らの音楽を聴いたでしょう。おそらく300回くらい、いやそれ以上でしょうか。
King Gnuに完全に打ちのめされました。
気持ちの良い完全なる敗北。
でもこんな敗北なら大歓迎だぜ。
今では仕事をしていても寝ていても、頭の中を彼らの音がグルグル回り続けて鳴りやまないのです。どうやら音のウイルスで脳をやられちゃったようです。
King Gnuの音楽って、再生回数を規制した方がいいんじゃないの?