いろんな歌手が「糸」をカバーしているけれど、中でもダントツに良いのはBank Band桜井の「糸」。
中島みゆきのオリジナルよりも私は好きだ。
オリジナルを凌ぐというのは音楽に限らずあらゆるジャンルでまずないことで、およそ奇跡という他ない。
正式にレコーディングされたものより、あるライブでの独特の歌い方が大好きなのだが、リンクは貼らないでおこう。勝手に貼っていいのかどうかも分からないし。
福山雅治は中島の原曲の路線を踏襲して歌っているが、個人的にはあまり好みではない。
中島の歌い方に似せるのならばもっと徹底的に似せたほうがいいし、そのつもりがないならもっと中島から離れた方がいい。
ただ福山っぽい歌い方だと言われれば確かにそうなので、自分のアイデンティティーに忠実であるとは言える。
ということは、中島と福山はそれぞれ素の歌い方が本来似ている者同士だということだろう。
だから中途半端に中島に似てしまったことは本人のせいではなく、あくまで結果論で、残念というしかない。
予想に反して、割と良かったのはスキマスイッチだ。
独自の解釈という意味での新鮮さは無いが、元々の期待値が低かったせいもあって、思いの外良く聞こえたのかもしれない。
だからもう一度は聴かないことにしよう。
EXILEのATSUSHIも歌っている。
ATSUSHIが歌が上手いのは認める。
だけど何故なんだろう?
この人の歌は不思議なほど心に響いてこない。
他の曲のカバーもいろいろ歌っているので、今までにもいくつか聴いてきたがみんなそうだ。
あんなに感情を込めて一生懸命歌っているのに、心に響いてこない。
別に嫌味でも悪口でもない。
本当に不思議な現象だ。
誰かこの現象について科学的に説明してほしい。
「単純接触効果」とか「ピグマリオン効果」みたいに、何か心理学上の効果が働いているのではないか?
非の打ち所がないほど上手いにもかかわらず感動しないという珍現象。
名付けて「ATSUSHI効果」。
ToshIも歌っているが「じょうずじょうず、でも普通だね」って感じ。
曲も途中で終わっちゃった。
ネットで検索したらたまたま出てきたので聴いたのだが、もっとも最後まで聴く気はなかったから丁度良かった。
「あぁ終わって良かった」と思ってしまったことを正直に告白しておこう。
菅田将暉は声がいい。
声がいいというのは歌手にとってはあらゆるものに勝るアドバンテージだ。
音程が取れているとかビブラートだとかファルセットだとかいうのはそのあとの話。
二の次、三の次、四の次である。
「まちがいさがし」などは米津玄師本人よりも良いくらいだ。
その菅田の「糸」でさえ、痺れるほど最高というわけではないのだった。
ただ菅田のはスーパーのBGMで流れてたのを耳にしただけだから、ちゃんと聴けばあと2割り増しくらい良いのかもしれない。
他にJUJU、クリス・ハート、森山直太朗、平原綾香などの「糸」も聴いてみたが、どれも「まぁ悪くはない」というのが感想だ。
元の歌が名曲なのだから、その歌を改悪して歌うことは、たとえ意図したとしても難しいのである。
おいしいトマト、おいしいキュウリ、おいしいレタスを使っておいしくないサラダを作るのが難しいのと同じである。
そんなわけで「糸」を歌って一番いいのは桜井、次が中島本人、その次がオレ(嘘)、その次はその他大勢ってところかな。それもはるか後方の水平線のかなたでね。
いや、実を言うと中島みゆきの「糸」はフルコーラスで全部を聴いたことがないんだよね。
何故って?
タダで聴けないからですよ。
「おい、ちゃんと聴いてもいないなら黙ってろ」
「偉そうにいろいろ言うんじゃねぇ」
って怒られそうですね。
だからこの記事は冗談半分で読んでください。
くれぐれも真剣にお読みにならぬよう、切にお願いします。
それにしても、こんなに多くのそうそうたるミュージシャンからカバーされるなんて、素晴らしい曲ですね。
もしも願いが叶うなら、一番聴いてみたいのは尾崎豊の歌う「糸」だ。
尾崎こそ「糸」を歌うべきだった。
将来AIによって、尾崎が歌う「糸」を聴ける日を楽しみにしている。
でもそれは所詮AIが作ったまがい物。
だから私は、私の心の中で、私の心の中の尾崎豊に「糸」を歌ってもらう。
ステージの上でスポットライトを浴びた尾崎が、アコースティックギターをかき鳴らしながら歌うのを、その初めから終わりまでを、私はまぶたの裏にありありと思い浮かべることができる。
汗まみれの尾崎が、顔を歪め、マイクに向かって叫ぶのを。
「織りなす糸は いつか誰かをー」
耳を澄ませば、尾崎のシャウトが、本当に聞こえてきそうです。