荒川光のブログ

炎上しない程度の過激発言! を目指しているのですが、出来上がった文章を読んでみるといたって正常で健康的です。ホッとするやらガッカリするやら複雑な心境です。

佐々木隆宏著「インド式 超速★計算術」を読んで実際にやってみた

まえがき

 

インド式計算術というのが一時期話題になりました。少し興味はあったのですが、どんなものなのかよく知らずに最近まで過ごしてきたのです。

ところがタイトルにも記した本をブックオフでたまたま見つけた私は、108円という値札にも助けられ、購入を果たしました。

 

インド式計算術にも様々な流派というかスタイルがあるのかもしれません。この本で紹介されているやり方がスタンダードなのか亜流なのかも知りません。ただどんなものなのかちょっと覗いてみようといった好奇心から本を手に入れたのです。

 

私は小学生の頃から算数が苦手でした。そんな私にこの暗算法がマスターできるのか? という疑問もありましたが、もしマスターできればちょっとした特技として自己PRに使えるゾという下心もありました。

 

「計算機で一瞬で答えが出ることを暗算でやる意味」というような議論はちょっとおいておきましょうよ。それよりも57×53をパッと答えることができたら、これ、結構凄いことですよね。やれたら面白いですよね。

 

算数が苦手だった私と心の傷(ちょっと大袈裟ですね)

 

算数が苦手だったと言いましたが、そろばん(懐かしい!)も習っていた私は純粋な計算は苦手ではなく、むしろ得意なほどでした。因数分解や幾何学だって得意とまでは言えませんが好きではあったのです。では算数の何が苦手で嫌いだったかというと、それは文章問題なのです。

 

例えばこういう問題がありました。

水槽に水が入っていて下の蛇口から水が流れ出しているのに、それを上回る量の水を上から加えることで水槽を一杯にしようとするのです。そしてそれを成し得るまでに要する時間を求めなさいといった問。

 

「水が漏れてんねやったら止めろや!」という言葉で頭の中がいっぱいになりました。

与えられている前提条件にすぎないことは分かっているのですが、理性では分かっていても心が受け入れることを拒むのです。

私はこんな愚かな問題を解く気にはなれませんでした。

 

放課後に算数の理解に乏しい生徒が集められ、「算数病院」と名付けられた勉強会が開かれました。もっと簡単に言えば私たちが居残りをさせられて、先生が算数の復習をしてくださったのです。

私は担任のこの女の先生が好きでした。しかし私は「算数病院」という呼び名を受け付けることができず、先生の引き留めにソッポを向いて帰宅したのです。

 

算数病院。今のご時世なら父兄によってはちょっとした問題にするかもしれません。

もちろん 先生には何も悪気はなかったことでしょう。それは当時の私にも分かっていました。でも私は頭の病気扱いされたことが子供ながらにショックで、「通院」しなかったのです。

大人げないとは思ったのですが、まだ私は子供でしたので。

 

おまたせしました、本の中身紹介

 

では本の内容についてです。

この本では2桁以上の掛け算や、足し算、引き算、割り算のやり方が解説されています。

ただここでは実際の計算のやり方については割愛いたします。ご興味のある方は書籍にあたられるなり、ネットで検索されるなりしていただければと思います。

 

私が本を読んで実際にやってみた感想は「なるほど、これは私にもできる」というものです。

例題、たとえば34×36という問題があり、解き方の説明があります。そしてその後の練習問題を何題か解いて理解を深めるのです。

 

先ほどの34×36は「10の位どうしが同じ数字で、1の位どうしを足したら10になる場合の掛け算」です。

また46×66のように「1の位どうしが同じ数字で、10の位どうしを足したら10になる場合の掛け算」というものもあります。

 

この他にも

「×5をする場合には×10をしてから半分にすれば簡単に解ける」

「23×98の場合には、98にはあと2を足せば100になるのだから、23×100をまず計算して、そこから23×2を引けばいい」

などなど計算する数字によっていくつもの攻略パターンがあります。

 

それぞれのパターンでの計算方法を身に付けて、数字を見た時にはどの計算パターンにあてはめれば良いのかを見極めることが必要です。

 

ただやり方を覚えただけでは実際の場面での活用は難しく、十分な練習を積むことでどんなケースにも対応できるようにしておくことが大事だと思いました。

 

途中までおこなった計算結果を一旦記憶しておいて、後でそれを取り出して活用する場合があるので、最近よく耳にする「ワーキングメモリー」といわれる能力が必要です。この能力が著しく欠落していると紙などに数字をメモしておかなければならないため、それはもはや暗算とは呼べません。それをするなら普通に今まで通りの筆算をすればよいという話になってしまいます。

練習を積めばワーキングメモリーは鍛えられるものだと思いますし、ちょっとした脳トレになるかもしれません。

頑張って一生モノの技術として身に付けたいものです。

 

数日間取り組んでみて

 

「一生モノの技術として身に付けたい」などと宣言した、その舌の根も乾かぬうちにこんなことを言うのも気が引けるのですが、私はこの素晴らしき暗算術を放棄する意思を固めました。

 

確かにマスターすれば日常生活を送る上で良いことは少なからずあるとは思います。しかし費用対効果(というか時間対効果)を考えるとあまり触手が動かないのです。

女の子の前で披露する機会があったとしても「すごーい」とは言われるかもしれませんが、モテたりするほどでもないでしょう。

それだったら筋トレをして肉体の完成度を高めるとか、ヴォイストレーニングをしてカラオケを上手に歌えるようになる、などの方に時間を使いたいですね、私は。

 

それとも私のやり方に何か間違いがあったのでしょうか?

「そんな難しいものじゃないよ」

「もっと簡単に習得できるものだよ」

「元々の頭が悪いからできないんだよ」

などの声も聞こえてきそうです。

 

もし身の周りにこの技術をマスターした人がいて、それを目の当たりにする機会があったなら、尊敬の念を込めて賛辞を送りたいと思います。私が成し得なかったことを彼は成し遂げたのですから。

純粋な好奇心に駆られて無我夢中に、あるいは女の子にモテるなんて誤解から必死で、頑張ったに違いないのです。

天晴!

 

あとがき

 

実際に計算問題を解きながら、数字っておもしろいなってつくづく思いました。

数字って何なのでしょう? 単純にして複雑。氷のように綺麗で、冷たくて、非人情的なものに私には思えます。

 

リンゴが3個あったとして、そこからリンゴという味や色や重さのある物体を取り除き、単に3という記号として考えるというようなことでしょうか?

そしてその数字を足したり引いたり、掛けたり割ったりすることで、まるで一本の糸が様々に形を変えるあやとりのように、何かの意味を持つようになる

 

私には学が無いので、ポヤーっとした頭で支離滅裂な思考の断片を思い浮かべるのみですが、数学っていう学問にはとても魅了されます。ベートーベンの音楽やピカソの絵みたいに。

 

「数学を極めたい」「天才数学者になりたい」なんておかしな妄想にふけってしまいました。1分間ほどね。 

運転代行の料金はなぜタクシー代よりも安いのか?

運転代行の料金は地域によって相場に大きな違いがあります。東京、大阪、名古屋などの大都市ではもちろん高く、私が住んでいる田舎の県では驚くほど安いです。

一体どれくらい安いのかって? なんとタクシー料金よりも安いのです。

 

その安さがどれほど無謀なことかをご理解いただくために、タクシー代行というものをご紹介します。

 

一般の運転代行と違って、タクシー代行ではお客様のところへタクシーで迎えに行きます。このタクシーにはもう一人従業員が乗っていて、お客様の車の回送だけをおこないます。お客様はタクシーに乗って目的地へ向かうのです。

 

このタクシー代行の料金がいくらなのかは会社によってそれぞれだと思いますが、タクシー料金を下回ることはないだろうと思います。

なぜなら通常のタクシーとしての仕事プラスお客様の車の回送をしているからです。もう一人分の人件費が発生しているのです。

たとえ客車の回送は無料サービスにするということにしたとしてもタクシー料金と同額になるはずで、タクシー料金よりも安くするということは考えられません。

 

ところが私の住んでいる県ではタクシー料金よりも安い料金で運転代行の営業をしているのです。

なぜそんな料金で経営が成り立つのでしょうか?

答えを言わせてもらいましょう。すなわち経営は成り立ってなどいないと。

 

私の県ではまともに経営が成り立っている代行会社は皆無といっていいのです。

大方の会社は最低賃金を下回る賃金で従業員を雇い、休憩を取らせない、残業代を支払わない、有給休暇を与えない、源泉徴収した所得税を国に納めない、社会保険に加入しない、などの画策をすることによってどうにか会社を機能させているのです。

そしてそんな会社を支えているのは他に行き場の無い労働者たちです。

正規の金融機関からお金を借りることのできない人が、ヤミ金から高い利息を取られてでも借りるのと同じように、ちゃんとした会社に勤めることのできないワケありな人たちはこんな劣悪な労働条件下でも働くのです。そしてもちろん私もその一人。

 

経営計画も先の見通しも何も考えずに、新たに代行会社が誕生します。この県では代行会社はしょっちゅう誕生するのです。

ボロの軽自動車2、3台と、時給に換算すれば700円を切るような賃金で夜中の2時3時まで働く奇特な労働者が数人いれば始められる商売なのです。田舎なので車を停めておく空き地には不自由しません。

営業戦略も何もありません。客を獲得するための方法として思いつくのは値段を安くすることだけなのです。そしてそれは確かに有効な手段で、客は増えるのです。貧乏な県の貧乏人が安い酒を飲んだ後、少しでも安い代行で帰ろうとするからです。

 

売り上げが一時的にパーっと上がる。随伴車をもう数台買い足す。ドライバーの数を増やす。会社は成長している。そんな風に考えているのです。

 

春に支払う自動車税や、2年毎の車検代や、自動車保険料や、消費税の支払いや、故障した車の修理代や、擦り減ったタイヤの交換代といった、当然発生することが分かりきっている経費にすら、考えが及ばないのです。

つまり、まったく行き当たりばったりのテキトー経営。これが我が県の運転代行業者の実態です。

客からどれだけの料金をもらえば経営が成り立つのか、考えることができないのです。

 

そして会社は潰れます。でも大丈夫、心配はいりません。次の馬鹿がまたすぐに同じような会社を作りますから。そして当然すぐに潰します。

この呪われた循環によって運転代行の需要は常に満たされるようになっているのです。

結局のところ得をするのは客だけです。そしてその客も別の状況では愚かな経営者や従業員の顔を持って潰れそうな会社で働いている。

 

お客様から正当な料金をいただいて、それに見合うきちんとした仕事をして、多くはなくても法律で定められた給料を従業員に支払い、納めるべき税金は納める。

そんな普通の会社としてやっていくことが私の住んでいる県ではできないのです。

 

捨て身の価格破壊をすることでしか客を獲得できない。しかも当の会社はそれを捨て身だなどと思ってもいない。儲かっていると勘違いしている。計算ができないのです。

会社を始めて1年が経ってもまだ黒字か赤字かの大雑把な計算すらできていない。本当の話です。わずか数人でやっている会社の簡単な金勘定すらできないのです。

 

別に会社が潰れたっていいのです。従業員にとってはそんなことは痛くも痒くもない。別の代行会社へ移ればいいだけなのです。ただのアルバイトです。田舎なのでみんな顔なじみで、すぐに声も掛かります。

 

私は先ほど馬鹿という言葉を使いました。気が付きましたでしょうか? それともサラッと読み飛ばして気にもならなかったでしょうか?

私は普段そんな言葉を決して口にはしません。しかし今ここで、意を決して、泣きながらその言葉を使ったのです。この業界全体に対する憤りと悲しみを込めて。

 

大の大人が真夜中に車を走らせて、酔っ払いの客から横柄な態度を取られて、使いっ走りの子分みたいにアゴで使われて、「あんた何でこんな仕事してるの?」なんて蔑まれて、それでもニコニコへーこらして「ありがとうございました」と言って1000円を貰うのです。しかも2人がかりでです。

 

遠いところから配車の指示を受けて全速力で客を迎えに行く。店に着いてから15分も20分も待たされて、やっと出てきた客を送る。3Kmまで1000円、5Kmで1500円、10kmで3000円てなもんです。

こんなやり方で、こんな料金で会社がやっていけるのかどうか、どうして分からないのでしょうか?

他の会社もみんなそれくらいでやっているから高くはできないのです。料金を高くしても納得して利用してもらえるような付加価値を考え出せないのです。本当に社会の最底辺の人間がやっている仕事です。

私は何も職業に貴賤を付けているわけではありません。勘違いしないでください。運転代行業は人の役に立ち、社会の役にも立ち、飲酒運転の悲劇から人々を守る大事な仕事です。でもやっている人間の頭が悪すぎて出口を見つけられない。業界全体がこの社会から搾取されているのです。

 

私も頭が悪すぎて何の知恵も出てきません。そして良い知恵の出てくる頭の良い人はもっと別の業界でその能力を発揮させるのでしょう。

一人の才能のあるヒーローが現れてこの県のこの業界を救いに導いてくれるのでしょうか? それとも私たち凡人以下の人間が集まって、話し合って、ない知恵を出し合って、少しずつ良い方向に推し進めていくしかないのでしょうか?

 

そんなことを考えている間に、みんなが自動運転の車に乗るような時代になり、運転代行業そのものをこの世から葬り去ってしまうのでしょうね。 

それもまた、それで良し。

玉石混交の健康情報 一体どれが正しいの?

年中金欠の上に時間も無い私、いわゆる「貧乏暇無し」ってやつです。

そのため入浴はもっぱらシャワーですませているのですが、月に一度くらいは湯舟に張ったお湯に体を沈めて心身を癒す贅沢を自分に許しています。

そこで悩んでしまうのがお湯の温度。熱めがいいのか、それともぬるめがいいのか?

巷には様々な情報が飛びかっています。

42℃くらいの熱めのお湯につかるとヒートショックプロテインなるものが出て免疫力が上がるなんていう話を耳にしたかと思うと、今度は熱めのお湯は健康に良くない、入浴中の死亡事故につながるなんて意見も。

 

シャンプーをする時には頭皮をしっかり洗って毛穴の汚れを取り除いた方が良いとはよく言われています。洗浄力の強いシャンプーを泡立てて、イボイボの付いたプラスチックの道具で頭皮をマッサージしながら洗うのが良いのだとか。

しかし洗い過ぎて皮脂を取り過ぎるのは良くないという意見もあるのです。中にはシャンプーなどする必要がないとさえ言う人もいます。お湯で洗うだけで十分だと。

一体何を信じてどうすりゃいいのでしょう?

 

他にもこのような例は枚挙にいとまがありません。いくつか挙げてみましょう。

朝食は一日のエネルギーになるのだからしっかり摂らなければならないとか、いや午前中は排泄のための時間だから朝食は食べない方が良いとか。

 

1日3食きちんと食べなければならないとか、いや1日1食が健康に良いとか。

中には1日6食くらいに分けて食べた方が良いなどと言い出す人もいるかと思えば、いやできるだけ食事と食事の間隔をあけた方が良いと言う人もいます。

 

適度な飲酒は血行が良くなって身体に良いとか、いや量にかかわらずアルコールは毒だとか。

 

乳製品はタンパク質やカルシウムが豊富で栄養価が高いから良いとか、いや実は体に良くない、逆に骨が脆くなるとか。

 

食後に運動をすると血糖値が下がって良いとか、いや消化に悪いから良くないとか。

 

ランニングは身体に良いとか、いや活性酸素が出て良くないとか。

 

紫外線を浴びると活性酸素が出る、皮膚がんのリスクが上がる、老化が促進されるなどと言う人がいるかと思えば、いや浴びなさすぎるとビタミンDが欠乏する、別種のがんのリスクが上がるなどの意見も耳にします。

 

水を1日に2リットルくらい飲むのが良いとか、いや飲みたくもないのに飲む必要はない、腎臓に負担をかけるだけ、水中毒になるとか。

 

この他にも挙げようと思えば10個でも20個でも挙げられますが、この辺でやめておきます。

 

 

科学が発達すればするほど迷信が取り除かれ、正誤の区別がついてくるものではないのでしょうか。それなのに、この21世紀に入っても未だに「正しいシャンプーの仕方」などという低次元の問題にさえ片が付いていないのはどういうわけなのでしょう?

 

人間が月へ行くだけの技術を手に入れたのは、もう遥か昔です。それから現在までに一体どれだけ科学の進歩があったでしょう。

今ではクローンやAIやあれやこれやの技術が、人間の想像を超えて独り歩きしてしまう危険が叫ばれているほどではありませんか。

そんな時代に正しいシャンプーのやり方すら分かっていない。

 

私は1日3食きちんと食べなさいと親や学校で教えられて育ちましたが、最近では1日1食が健康に良いなどと言い出す人がいるではありませんか。お腹が空いてグーグー鳴っているのにそれでも我慢して食べない方が良いのだとか。

こんな馬鹿げたことがあっていいものでしょうか? そのどちらが正しいのかくらいのことすら現代の科学で答えを出せないのか?

 

もうじき自動運転の車が町中を走り回るようになろうとしているのにですよ。

まったく何にも分かっちゃいないんだなと、憤りすら覚えます。

 

もし科学的な根拠もないくせに名声や金儲けのために極端な健康法を口走っている輩がいるならば、科学の名の下に一撃で叩き潰せばいいではないですか。なのにそれができない。それはつまり何が正しいのかを誰も知らないからに違いありません。

もう、本当にイライラします。

 

今までの常識をくつがえすようなセンセーショナルな仮説を提唱して、悪目立ちしようとする連中がいるのです。メディアもそれに便乗し、大衆を煽って発行部数やアクセス数を伸ばそうとたくらみます。

そのため科学的な根拠の乏しい説がもっともらしく世間に跋扈しているのです。難しい言葉を使ってすみません。読めますか?  「ばっこ」って読みます。意味は、辞書を引いてください。

 

あと最近とても気にさわるのが、 ネットの記事なんかでよく見かける大袈裟かつ不誠実なタイトルです。「〇〇するためのたった一つの方法」なんていうやつです。

「その目的を達成させるための方法は本当にそれ一つなのか?」と訊いてやりたい。

耳目を集めるためだけに奇を衒ったタイトルをつける奴がいるのです。そしてそれを真似する人間が後を絶たないため、今やそんなタイトルは珍しくも何ともなく、極めてありふれた陳腐なものになっています。

 

また昔から言われていることですが、ネット上には不確かな情報があふれかえっています。その情報が正しいかどうか検証もせずに、コピペをコピペしたような記事をさらにコピペしただけの記事が、正しい情報を覆い隠しているのです。お金を払ってそのようなコピペ製造屋を雇っている業者までいるのです。

グーグルもそのような記事を上位表示させないように努めているとのことですので、今後ますます成果を挙げていただけることを期待しています。

ただあんまり厳しくし過ぎると今度は私の記事まで表示されなくなってしまいますので、良いあんばいに緩やかにやっていただきたいものです。自分のことは棚に上げておりますので。

 

さて特に健康情報について、間違った情報に基づいた実践で自分の心身を傷めないために、私の取っている方針は以下の5点です。

 

1  一つの媒体のみを盲信せず、セカンドオピニオンとして他の媒体の情報も参照する。

2  「この内容は本当に正しいのか?」と疑いを持って情報に接する。

3  逆説的でインパクトのある言説には特に注意する。

4  「バランス」「中庸」といった言葉を常に心の片隅に置いておく。

5  逃げ道を用意しておく。「退路を断つ」というのは一見潔く思えるが、ガキじゃあるまいし、蛮勇をふるうのではなくいつでも後戻りしたり方向転換したりできる余地を残しておく。

 

とにかく何でもほどほどにしておいて、どっちに転んでもいいように準備しておくことが身を守る術ではないかと思います。日和見主義的で私本来の流儀ではありませんが、いたしかたないです。

 

もっと科学が進歩して「正しいシャンプーの仕方」の決定版を早く出してもらいたいものです。その決定版には誰一人異論をさしはさむことはできません。

1+1=2くらいに明瞭で美しい方程式で「絶対的正義」なシャンプーの方法を指南していただきたいです。

 

早くしてよね。髪の毛が、けっこうヤバいからね。おでこがね。

男が車道側を歩かなければならない5つの理由

最近ネットや雑誌などで「さりげなく車道側を歩いてくれる男性が好き」などという意見を見かけます。もちろんこの意見を述べているのは女性です。

 

えっ、そういうものなの?  と私はかなり驚きました。

この歳になるまでそんな話を聞いたことがありませんでしたし、意識したこともありませんでした。

これは「マナー」あるいはそれに準ずるものという理解でいいのでしょうか?

 

ビジネスマナーの講習なら受けたことがあります。

タクシーに乗る場合の席次やエレベーターの乗り降りの仕方、テーブルにつく際の上座や下座の判断の仕方などを教わりました。

しかし女性と町を歩く時に男性が車道側を歩くべきなどという話はとんと聞いたことがありません。

 

ドアを自分が開けて女性を先に通すということは私もしばしばやります。レディファーストっていうやつですね。そしてそんな行為にキュンとするという女性もいるそうです。

 

この「キュン」という言葉自体が馬鹿っぽいのに加えて、こんなことでキュンとするという女も馬鹿っぽいですね。

 

欧米ではこんな行為は当たり前なのだそうです。それゆえそんなことにいちいちキュンとくるなんていう女もいないでしょう。

 

では男が車道側を歩くべきだというのは、これは日本独自の文化なのでしょうか? それとも輸入品でしょうか?

今後は洋画や海外ドラマを観るときには男女がどのように歩いているのかにも注意してみようと思います。

 

男が車道側を歩くことが推奨されるのはなぜか?  私の推測では以下の5点です。

 

1  車道を走っている車がハンドル操作を誤って歩道に乗り上げてきたときに、女性の死亡リスクを男性のそれよりも下げるため(男は命をかけて女を守るべき)。

 

2  雨の日に車が水しぶきを跳ね散らかしたときに、男性が盾となって女性を水からかばう(男たるもの体を張って女を守るべき)。

 

3  通りすがりの原付などによるひったくりから女性を遠ざける(男はたいした荷物など持っていない、だいたい手ブラ)。

 

4  通りすがりの車の窓から女性がナンパされたりしないように、男性が間に入ってナンパ者を睨み返す(男が女からナンパされるいわゆる「逆ナン」の可能性は低いのです)。

 

5  女性が車に連れ込まれるなどの誘拐の防止(繰り返しになりますが男は女を守るのが仕事です)。

 

こんなところでしょうか?

いやそうじゃないよ、本当はこういう理由だよ、などの情報をお持ちの方がいらっしゃったならぜひ教えていただきたいです。

 

さあ、私たち男性は率先して車道側を歩いて、飛んできた車や水しぶきやひったくりやナンパや誘拐犯から女性を守ろうではありませんか!

 

まぁ私は女性と歩く機会など滅多にないので、猫の散歩をする時に猫様を守るための心掛けとして覚えておきましょうかね。

 

あっ、オレ猫の散歩なんてしたことねーや。

バレンタインデーに義理チョコを貰ったから勇気ある対応をした!

バレンタインデーに会社の同僚女性から義理チョコを貰いました。

正確に言うと受け取ったのは2日後です。なぜなら2月14日と15日は私が公休日だったから。2月16日に出勤して、デスクに置かれているチョコを発見したのです。

 

いくらくらいするものなのか私には分かりません。でも間違いなく100円以上はする代物です。

そこで彼女にラインでお礼のメッセージを送りました。その日は彼女が休みだったからです。

お礼の文面は以下の通り。

 

Yちゃん!

かわいいチョコをありがとう。これって本命だよね!

 

どうですか?

これを送信するのに結構な勇気が必要だったというのが今日の話です。

 

何だつまんねーと思った人はここでさようなら。あなたは賢い。

暇な人は後2分ほどお付き合いを。

 

なぜこのラインを送るのに勇気が必要だったのか?  

それは彼女が会社の従業員みんなにばらまいた義理チョコを、私が本気にして受け取ったと誤解されやしないかという懸念があったからです。

つまり私はそんな勘違いをしでかしかねない男だと思われている、という自覚があるからなのです。

「あのオッサン、義理チョコをやったら本気にしてやがんの、ハッハッハ、キモッ」みたいな展開を恐れたわけです。

だったら無難で安全な道を選べば良いのですが、「ちょっと冒険したい」「ギリギリのところを攻めたい」という欲望もムラムラと湧いてきます。

私は震える指先で送信ボタンを押しました。

 

さてその結果についてお伝えする前に、このあたりで彼女の人となり及び私との関係についてお話しておきましょう。

 

彼女は30歳手前くらいです。

不二家のペコちゃんに似たかわいい娘です。

本当はどうなのか知りませんが、会話の上ではとても男慣れしているように見えます。下ネタ話も大好きで、私などはとても口に出せないような下品な言葉を好んで使います。それでいて尻軽なビッチという感じではありません。それどころか、ひょっとしたら処女かもしれないなんて思わせる部分も持ち合わせているのですから不思議な女です。

表情豊かで、頭の回転が速く、あけすけに大声で笑います。話をしていてとても楽しいです。

誰に対してもフレンドリーで「照れる」とか「恥ずかしがる」などということはありません。

そして、ちょっとぽっちゃりタイプです。ちょっとですよ。

優しいところと女特有の(なんて言ったらフェミニストから怒られますかね)意地悪さを兼ねそなえ、それを隠そうともしない。だからこちらも必要以上に構えることなくリラックスして付き合えるのです。

彼氏は「今は」いないそうです。

そして私は彼女に対して異性としての特別な好意を持ってはいません。

実はYちゃんとはそんなに話をしたことはないのです。会う機会があまりないのです。なので彼女のことを深くは知りません。彼女も私のことをよく知らないはずです。

 

例のラインを送った後、返信を待ちました。しかしいつまでたっても一向に既読になりません。

私の中で徐々に緊張感が高まっていきます。

 

何かの事情でまだ携帯を見ていないのかな? 忙しい娘だしな。それにいつも携帯をいじくってばかりいる人でもない。と思いながら時々自分の携帯を気にしつつ仕事をしていました。

 

1時間が経ちましたがまだ返信がありません。既読にもなりません。

私はこうも考えました。きっとこれは返信の内容を考えているのだなと。

聞くところによれば相手に読んだことを知られないようにして、いわゆる「既読を付けずに」メッセージを読む方法があるとのこと。その方法を使って彼女はすでに読んでいて、どのように返信すべきか迷っている。

 

これは良くない兆候だぞ、なぜ悩む必要があるのか?

彼女はおよそ悩んだり思いあぐねたりするタイプではありません。打てば響くようなタイプです。

こちらがどんな変化球や的外れな悪球を投げてもみごとにキャッチして、間髪を入れずに即答してきます。

発言に躊躇したり言いよどんだりすることもありません。自信なさげに小さな声でモゴモゴ口ごもるようなこともありません。

「パーン」とか「パキーン」とかいう乾いた音が聞こえるような切れ味鋭い対応をいつもするのです。

私ごときのラインになんか、短文にスタンプをペタペタっと貼って1秒で返してくるぐらいの女です。

それがもう3600秒も音沙汰なし。

 

Yちゃんの心の中。

荒川さん冗談で言ってるのかな?  それとも常識知らずで社会性の乏しいあの人の頭の中で、へんな妄想でも始めちゃったとかー?

冗談だろうねきっと。だったらこっちも軽く返しとけばいいけど。でももしも本気で言っているのなら傷つけないように上手く返さないと。後々面倒だし、それにこじらせてストーカー化されてもヤバい・・・。

 

こんな感じでしょうか?

やっぱり送らなきゃよかった、あんなメール。

 

そんなことを考えながら待つこと1時間半。ようやく返信がきました。

 

おつかれさまです٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

もちろん本命ですよ!笑

お返し期待してます♡笑

 

そして大笑いしているハローキティのスタンプが。

 

私からのラインを冗談だと受け取って笑ったのか、それとも本気だと受け取ったけれども笑って冗談にしてしまおうと思ったのかは定かではありません。

しかしいずれにしても私がホッと胸を撫で下ろしたことは言うまでもありません。

その笑いの流れに乗って私はこう答えました。

 

「まかせとけ!」

 

その後彼女とはまだ一度も会っていませんが、今度あったらあの1時間半の理由を尋ねて種明かしをしてもらおうと思っています。

ただ単に風呂にでも入っていて携帯を見ていなかっただけなのか、それとも返信の仕方をあれこれ悩んで、友達に相談したり知恵袋に訊いたりして、あの返信内容にイチかバチか賭けたのか。興味あるところです。

 

もしも後者だったのなら、Yちゃん、ごめんなさい。

僕は楽しい1時間半を過ごせました。

ホワイトデーをお楽しみに。

運転代行の女性ドライバーのモテ方が凄い!

運転代行の運転手は男がほとんどです。深夜に及ぶ仕事ということや、酔っ払いの相手をする場合もあるということから、女性にとってハードルが高いのだろうと思います。

だったらキャバクラで働くキャバ嬢だって同じじゃないかという声も聞こえてきそうですが、キャバ嬢と代行の運転手とでは給料に雲泥の差があるのです。えっ、どっちが雲でどっちが泥か説明した方がいいですか? お分かりですよね?

キャバ嬢は代行の運転手なんかの何倍もの給料を得られるがゆえに、あのような苛酷な仕事ができるのです。

 

でも、代行の運転手の仕事だって結構大変なのです。

 

まず客車を運転するには2種免許が必要です。キャバ嬢のように基本的に本人が希望すれば誰でも就ける仕事ではありません。

時には左ハンドルの車やマニュアル車だって運転します。自分では一生かかっても買えないような高級車を走らせることだってあります。

知らない道だって通ります。高速道路を飛ばすこともあります。

狭い路地も、ヘアピンカーブの連続する峠道も、工事や事故で渋滞する道路も、雨の中も、冬には雪道だって、走らなければなりません。

 

しかもいつも乗り慣れている自分の車ではありません。初めて乗るお客様の車です。

最近の車はどのスイッチが何なのやらサッパリ分かりません。

パーキングブレーキだって昔は手で引くレバー式でしたね。この頃やっと足で踏むタイプのものに慣れてきたと思っていたら、今度はボタン式のパーキングブレーキなんてものが出てきているではありませんか。ワイヤーを引っ張った実感がないので、ちゃんとブレーキがかかっているんだかいないんだか不安の残る代物です。

外車の運転席周りなんてもっと分かりにくいですよね。

 

加速の仕方だってブレーキの効き具合だって車によって様々です。でも「急」のつく運転はお客様のご気分を損ねます。アクセル、ブレーキ、ハンドルの操作にはとても気を使います。

客車をこすったりなんかしたら大変。ましてや事故なんか起こせばどんな面倒くさいことになるか。

 

エンジンをかけるとスピーカーから大音量のレゲエが鳴り出す客車もあります。お客様と帰り道の打ち合わせのための会話もできないほどです。

しかし「少しボリュームを下げていただいてもよろしいでしょうか?」なんてとても言えません。そんなことを口にしようものなら激怒するお客様だっているのです。酔いも手伝ってのことではあるのでしょうが、予想だにしなかった言葉が引金になってお客様の怒りに火をつけてしまうことがあるのです。

一体どこにどんな怒りのスイッチを隠し持っているのか分かったものではありません。

 

背の高いお客様が乗っている車を背の低い代行ドライバーが運転する場合にも苦労があります。

「シートの位置を動かしてもよろしいですか? 」と尋ねなければなりません。「脚が短いものでスミマセン」なんてくだらない自虐を入れなければならない場合だってあるのです。

その上パワーシートの車なんかだと、どこにスイッチがあってどう動かしていいんだか分からないことだってあります。

バックミラーやルームミラーの角度なんかは余程のことがない限り変えない運転手が多いです。後方の確認がしづらい状態のまま運転しているのです。

 

このようにお客様は王様で運転手は家来か召使いかというくらいに平身低頭するのが一般的です。私が知らないだけで、広い世間にはもっと尊大な態度で業務を遂行している代行会社があるのかもしれませんが。

 

今挙げたのは運転手の苦労の一部にすぎません。なかなかにハードな仕事ではあるのです。

にもかかわらず、代行の運転手の給料はというと・・・。まぁ、会社にもよりますので詳しくは言いますまい。

そんなわけで、仕事の内容や時間帯や給料やらを総合的に考慮すると、運転代行の仕事を選ばない女性が多いのです。

 

しかしながらどんな分野にも例外はあるものです。今回はそんな運転代行の世界で活躍する女性についてお話しようと思います。

いや、そんなことよりまず結論から先に言いましょう。ブログは結論から先に書けと何かの記事にも書いてありました。私はなかなか本題に入らずにグズグズしているから読んでくれる人が少ないんでしょう。

 

結論。運転代行の女の運転手はとてもモテる。

 

では私が勤務している代行会社の女性運転手の例を見てみましょう。

私は2種免許を持っていません。ですので客車を運転したことはありません。客車を追いかけて行く車、随伴車と呼ばれている車を運転しているのです。

 

そんな私なのですが、客車を運転する女性ドライバーとペアを組んで仕事をしたことが何度かあります。

私の任務は助手席にそのドライバーを乗せてお客様のところまで行き、ドライバーが客車に乗ったらその後を追いかけて目的地まで走り、客車から降りたドライバーを回収し、また次なるお客様のところへ向かう。

この繰り返しを決められた時間までやるということなのです。

 

この女性ドライバーは美人でも可愛くもありません。ブ◯とまでは言いませんが、深夜に二人きりで車に乗っていても何らの感情も湧いてこない女です。

しかしながら彼女、行く先々でチップをもらい、「可愛いね」なんて褒められ、連絡先を訊かれたり、口説かれたり、「今度から指名していいですか?」なんて言われたりしているのです。

「『ギュッとしていいですか?』なんて言われちゃった。ダメですよ、奥さんに怒られますよって言ってやったわ」なんて嬉しそうに言うのです。本人の作り話でもなさそうです。

キャバクラから自宅へ送っていった客がそんなことを言うのですから驚きです。キャバクラのお姉さんと、この疲れ果てた顔をしたアラフォー女とでは雲と泥くらいの違いがあるのですから。

お姉さんに相手にされなかったのでしょうか? 身の丈に合ったブ◯の方に親近感を覚えたのでしょうか? 酔っているし真っ暗だしで幻想を見たのでしょうか?

 

私の分析ですが、代行の女運転手がこのようなモテ方をする理由は以下の6点です。

 

1 暗いために欠点が見えない。自分に都合良く理想化できる。

2 深夜にこんな仕事をすることに反対する夫や彼氏がいない可能性が濃厚。

3 過酷な労働に耐えている姿をけなげでいじらしく思う。断崖に咲く花が美しくみえるのと同様、背景とのコントラストによる錯覚。

4 患者が女性看護師を頼もしく思うように、運転する能力を失った者は自分を安全に自宅へ送り届けてくれるドライバーを頼もしく思う。その気持ちが女性ドライバーを実際以上に見せてしまう。

5 自分の車も命も相手に預けたことにより、まるで自分が相手に対して丸裸になったようで一種の解放感と高揚感を覚える。

6 相手を見下している。代行のドライバーを自分よりも下等な存在だとみなしているがゆえに安心して下品な口説き方ができる。

 

こんな感じではないでしょうか?

私は彼女の他にも何人か女性の客車ドライバーを知っていますが、客から受ける言動は大体上記の女性ドライバーと同じです。本人がモテていると思うかセクハラだと思うかは人によって違いますが。

 

中には客とのやり取りが苦痛で、2種免許を持っているにもかかわらず客車を運転することを断念し、私と同じように随伴車の運転手に甘んじている女性ドライバーもいます。

 

最近ではセクハラや性犯罪に対して毅然とした態度で立ち向かう勇気ある女性が出てきています。それによって後に続く人々、ファロワーたちも増えてきているのは素晴らしいことだと思います。しかしそれでもまだまだセクハラを断固として否定する、拒否するというまでには機は熟していません。

昼間正気で仕事をしている真っ当な人間たちですらそうなのです。ましてや運転代行などという、はみ出し者たちの寄せ集めで成り立っているような産業において、セクハラ撲滅などという夢のような未来が期待できるでしょうか?

 

結局私が言いたかったのは次のことです。すなわち、運転代行の女の運転手は決してモテてなんかいない。単にセクハラを受けているだけなのだと。それを「モテ」だと脳内変換させてしまっている彼女たちの哀れ。

 

いや、本当は彼女たちだって分かっているのです。決して恋でも愛でもないことを。

でも、つかの間でも自分の存在を認めてくれる人に出会って、その夜の仕事に安い給料以外の何らかの意味を見出せたのです。

 

不惑を過ぎた、バツイチ子持ちの、いつも支払いに追われ、毎月携帯電話やガスの止まる、狭い集合住宅に住んでいる、歯の欠けた、疲労にやつれた、手抜きの化粧を間に合わせでしてくるだけの、ブス。

 

彼女の未来に、どうか、幸せあれ。

スターバックスさん、コーヒーのサイズ表記は「大」「中」「小」でお願いします

某コンビニエンスストアで販売している挽きたてコーヒーが好きで時々飲みます。

ただいつも戸惑ってしまうのが、コーヒーカップを機械にセットしてから“L”または“R”のボタンを押すときです。どっちがどっちだったっけ? となってしまうのです。

“L”は左で“R”は右だったかなとか、ライトは軽いってことだよなとか、一瞬頭の中を英単語が駆け巡ります。

 

私のような、多少英語に触れる機会もある40代の人間でさえ結構まごつくのですから、もっと年配の方々だと機械の操作方法が分からず、このおいしいコーヒーを飲むことを断念してしまうこともあるのではないでしょうか?

 

この記事を読んでくださっているあなたならきっとご存知のことと思いますが、“L”および“R”が何の略かといいますと、それぞれ「レギュラー」「ラージ」なのです。

 

分かりやすく「大」と「小」にしてもらえないものでしょうかね。

ちなみにレギュラーというのは「標準の」という意味で、その店がこれが標準だと決めたサイズをレギュラーと呼んでいるわけです。

ですので大小2種類のカップを、A店は小をレギュラー、大をラージと呼んでもいいですし、B店は大をレギュラー、小をスモールと呼ぶことがあってもいいと思います。しかし私の知る限りだと一番大きいサイズをレギュラーと呼んでいる店はありませんが。

 

「大」「小」という呼び方はコーヒーとは親和性が低いのでしょう。トイレみたいですしね。

 

他店のサイズ表記を見てみますと、S、M、Lというのはよく見かけます。私にはこれが一番しっくりきます。大、中、小ってことですね。

 

スターバックスなどでは「ショート」「トール」「グランデ」なんて呼び方をしていて笑ってしまいます。コーヒーの味や香りで差別化するのが難しいものだからカップの呼称で自己主張しようとしているのでしょうか?

自社が世界を制覇するくらいの成功をおさめたら、このサイズ表記が世界標準になるとでも思っているのでしょうかね。

 

自分の店の商品にどんな名前を付けるかは自由でいいと思います。でも大きさや分量などの情報は、客に誤解を与えることのないように慣例に従うのがマナーではないでしょうか? 

あえて保守を選ぶ勇気を持ってもらいたいものです。葬儀にきらびやかな装いで参列するのが勇気ではないのです。

自分に自信のない人に限って「右へならえ」することが陳腐だとか平凡だとか没個性だとか考えてしまいがちなのです。

スターバックスさんには「もっと自信を持って、堂々と平凡たれ!」と言いたいです。

 

ステーキ店などのメニューを見ると、肉の重さをグラムの単位で表示してあることが多いですが、これがオンスだとかポンドだとか斤(キン)だとか私たちに馴染みの薄い単位で表示されていたらどうでしょうか?

それが洒落ているとか斬新だなどという前に、私などはただ単に不親切だと感じてしまいます。

独創性は他のところで発揮してくれと言いたい。料理の味で勝負してくれと言いたい。前衛芸術家気取りですか? こっちはどれくらいの重さがあるのかを知りたいだけなのに、なぜなぞなぞ遊びに付き合わなければならないのか? 

誰にでも分かる単位で、客観的な数字を示してくれればそれでいいのです。

 

別の例で言えば、ある店が店舗の設計をするにあたって、ユニークさを追求するあまり何十段もの階段を登って行かなければ店内に入れないような建築物を作ったとしたらどうでしょうか?

「登ってこれる人だけが来ればいい」のでしょうか? 「車椅子の人は来てくれなくていい、いやむしろ来ないでもらいたい」のでしょうか?

 

それなら「ショート」「トール」「グランデ」みたいな何の記号か分からないような名称を付けるのはどうなのでしょう?

「分かる人だけが来ればいい」のでしょうか? 理解できない年寄りや方言をしゃべる田舎者を来させないための「ふるい」でしょうか? それともこのコーヒーショップが誕生した土地では、液体の入った容器のサイズをこれらの名前で分類するのが一般的なのでしょうか? もしそうだったとしても、だからと言ってこの日本でその表記をそのまま使う必要はないのです。何でもアメリカ式にやるというのであれば、店員も英語で接客すればいいではないですか。

 

バリアフリーというときのバリアとは物理的なものだけを指すのではありません。「グランデ」なんて言うのはバリアなのですよ!

 

などとちょっと鼻息荒くまくしたててしまいましたが、面白いように誇張して言ってみただけで実際のところ本気で反感を持っているわけではありません。別にどっちでもいいくらいのものです。取り立てて問題にすべきほどのことでもありません。

 

店ごとに独自のルールを作ることはよくあることです。ドレスコードのある店もありますし、高級なフランス料理の店なんかだと、私は行ったことがないので分かりませんが恐らくいろんな有形無形のしきたりがあることでしょう。

ただ余りにも独善的に過ぎたりお高くとまって排他的だったりすると客の直感で分かるものです。いえ、何も私が排斥されているなどと被害妄想にかられているわけではありませんよ。もっとも歓迎されているとも思いませんけれど。

 

自分で勝手に名前を付けて、他者もそのルールに従わせようというところが生意気、傲慢、偉そうと感じてしまうのです。「そんなお前ルールには従わねぇよ」と反発したくなるのです。性格が少しばかりひねくれていますのでね。

 

これと似たような感情を抱くことは他にもあります。

例えば自動車のカタログに記載されているボディカラーの表記です。

トヨタプリウスの2017年11月発行のカタログを見てみましょう(注・あくまで有名メーカーのよく売れている車だから例として挙げただけで何ら悪意はありません)。

 

「ホワイトパールクリスタルシャイン」「アティチュードブラックマイカ」「エモーショナルレッド」「サーモテクトライムグリーン」

 

何なんでしょうこれ? 難難でしょう?

「白」「黒」「赤」「緑」ではダメなんでしょうか? ダメなんでしょうね、きっと。

 

「ウチの白は他の白とは違う!」という自負がこんな暴力的なキラキラネームを生み出したのです。何で暴力的かって? 目の悪いおばあさんや滑舌の悪いおじいさんは、ディーラーの営業マンとカタログを見ながら商談していて、車の色の名前をスラスラ言えないからです。

営業マンはスラスラ言える。客は言えない。

この商談でどちらが有利かはあきらかです。スラスラ言えない自分を相手よりも劣位に感じてしまうことは想像に難くない。たかが色の名前ですよ。しかも自分で勝手に作った色の名前。

 

話はコーヒーに戻りますが、英語やフランス語やイタリア語の表記がお洒落だなどと私たちは思いがちです。でも欧米人がさほど意味のない漢字のイレズミを身体に彫ったり、まったく意味不明な日本語の文言が書かれているTシャツを着ていたりすることからも分かる通り、異国趣味というのは洋の東西を問わずあるものです。

ですのでアメリカで「大」「中」「小」という表記を採用すれば大いに受ける可能性もあると思います。

特に「中」という文字はシンメトリカルかつシンプルで美しい。そして何より「中華」というアジアを想起させる文字だけに大人気となり、皆がこぞって「中」という字を書き散らす事態となるかもしれませんね。

私もアラビア語やタイ語、ヒンディー語なんかで何か書ければいいなと思うことがあります。意味も発音も書き順もまったく分からないことも手伝ってか、とても美しい文字に見えますね。

 

それではそろそろこの辺でこの記事を終わりにしたいと思います。

変な劣等感や被害者意識の強い人間は、スターバックスやトヨタに代表される社会的強者をこんなふうに攻撃しがちだということが書いていて分かりました。今日の収穫です。

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