荒川光のブログ

炎上しない程度の過激発言! を目指しているのですが、出来上がった文章を読んでみるといたって正常で健康的です。ホッとするやらガッカリするやら複雑な心境です。

車のボンネットを開けたら猫がいた! #猫バンバンしてますか?

一か月ほど前の話になります。

仕事を終えて帰宅した私は、乗って帰ってきた車のタイヤをスタッドレスタイヤに自分で交換しました。そしてその後エンジンルームの点検もしようとしてボンネットを開けた時、「ワッ」と叫んでしまいました。大人げなく。

 

なんとエンジンルームの中に子猫が一匹

 

ボンネットが開けられて水銀灯に照らされたその猫は「まぶしいなぁ」とでもいうように顔をそむけて、お尻の方から後ずさって機械のすき間に身を沈め、そのままエンジンルームの下へ消えました。

その後エンジンルーム内をくまなく探したのですが猫はいませんでした。恐らく下から地面に降りて走り去ったのでしょう。

 

猫は大慌てで逃げたようには見えませんでした。「あれ、見つかっちゃったー? ごめんなさーい」という感じで、ゆっくりと中へ入りこんでいき、下から外へ出たのです。

 

ここで私には一つの疑問が浮かびました。

この猫はいつどこでエンジンルームの中に入ったのか?

 

タイヤ交換をしている30分くらいの間に入ったのでしょうか?

しかしその間私はずっと車のそばにいて、ジャッキで車を上げたり下げたり、ホイールを外したり付けたり、レンチでナットを緩めたり締めたりと騒がしくしていたのです。

警戒心の強いノラ猫がそんな車に近づいてエンジンルームの下から中へ入り込むなんてことがあるでしょうか? その可能性はちょっと考えにくいように思います。

 

実は私の中で、この問に対する答えは出ているのです。

あまり想像したくないことだったので、別の可能性を考えてみただけなのでした。

 

もったいぶらずにさっさと答えを言いましょう。

この猫は私が勤めている会社の駐車場にいた猫に違いないのです。その駐車場にはノラ猫が何匹かいて、時々エサをやっている従業員が何人かいます。

私も見かけることあるのですが、黒の親子、痩せたキジトラ、そして最近になって見かけるようになった、生まれて3か月くらいかという白黒の子猫です。

私は車のボンネットを開けたときの一二秒しか猫の姿を見ていませんが、あれは確かに会社の駐車場にいる白黒の子猫でした。

 

子猫は熱く狭いエンジンルームの中で、会社から自宅までの20分あまりを過ごしたのです。

エンジンは触れば火傷するくらい熱くなっていたことでしょう。すぐそばではベルトが高速回転。エンジンの騒音。ガソリンと排気ガスの臭い。激しい振動と揺れ。

私がこんな状況に置かれたら恐怖で気が変になってしまいそうです。

 

会社から家まで帰る途中でコンビニエンスストアに10分ほど立ち寄りました。その間エンジンは切っていたのですが、猫は外へ出られなかったのでしょうか?

外へ出るための経路に踏むと熱いような部品があって出られなかったのでしょうか?

いずれにしても私は生まれて間もない子猫をひどい目に合わせてしまったのです。

一歩間違えればベルトに巻き込まれたり、焼け死んだりする可能性だってあったのです。

ボンネットを開けた時、猫は慌てて逃げて行こうとはせず、眠りから目覚めたばかりというような少しダルそうな様子でゆっくりと姿を消したのでした。

今思えば猫はきっと弱っていたのに違いありません。ノラ猫の敏捷さはありませんでした。

無事に生きていてくれて本当に良かった。生まれた町から離れたこの地で、たくましく生きていってくれることを祈るばかりです。

 

 

 

次の日に出勤した私は会社の仲間にエンジンルームの中に猫がいた話をしました。その猫に目をかけて可愛がっていた彼女は私を非難しはしなかったものの、とても残念がっていました。そしてその日以降、会社であの白黒の子猫の姿を見ることは今にいたるまでありません。

 

エンジンルームの中で犠牲になる猫が多いという話は私も知っていました。冬場に温かいエンジンのそばで暖を取っていた猫が、車のエンジンをかけた瞬間にベルトに巻き込まれてしまうという事故が多いそうです。

だけどまさか自分の車でそんなことが本当に起こるなんて。

 

最近の車や高級車などはエンジンルームの下側がアンダーカバーでおおわれているため猫が入りにくいと思います(注・そのためのアンダーカバーではおそらくない)。しかし私の乗っている古い軽自動車にはアンダーカバーなど付いていません。

また今の車は狭いエンジンルーム内に部品が整然と、そしてギッシリ詰まっているため大きい猫なら入り込めないかもしれません。しかし私の車はエンジンルーム内がスカスカで、ボンネットを開けると上から容易に地面が見えるほどですし、猫が5匹くらい入れる居住スペースもあるのです。

猫にとって私の車はとても入り心地の良い車だったのですね。

 

日産の#猫バンバンプロジェクト

 

そんな猫の命を守るために、エンジンをかける前にボンネットを手で叩いて猫をびっくりさせ、外へ逃がしましょうということが言われています。

 

日産自動車が提唱している#猫バンバンプロジェクトをご存じでしょうか?

「猫バンバン」で検索すれば出てきますのでぜひご覧ください。かわいい猫の写真やイラスト、猫バンバンの目的ややり方が一目で分かる動画もありますよ。

自動車メーカーが製品の性能や値段や燃費や安全性などについてだけでなく、動物の命を守るための活動もしてくれたことをとても嬉しく思います。

 

猫バンバンをするのは簡単。でもできない、やらない理由3つ

 

件の事件以降、私は車のエンジンをかける前には極力ボンネットをバンバン叩くようにしています。

でも「毎回必ず」とはいかないのです。

 

1)やるのを忘れた

 

「忘れただと!? 猫をあんな目に合わせておいて、それを忘れてただって? もう車に乗る資格がないね」

 

そうは言ってもついうっかりしてしまうこともあるものです。でも猫の命にかかわることなので忘れてましたで済むことでもありません。

猫バンバンステッカーというものがありますので、ぜひ手に入れて車の目立つところに貼っておこうと思います。自分への意識付けと周知のためです。

このステッカーは猫がタイヤをかじっているデザインで、結構気に入ってます。ステッカーの自作の方法を紹介しているサイトも見つけましたので私も自分でやってみるつもりです。

 

2)急いでいた

 

出勤するにも待ち合わせ場所に向かうにもいつもギリギリの私。でも遅刻することはないという自信からギリギリが習慣になってしまっているのです。

これは本当に改めなければならない悪い習慣ですね。

急いでいるから車に跳び乗ってすぐに発進させる。ボンネットをバンバンやっている暇がない。たった10秒足らずのことができないのです。そんな余裕のない人間はいつか事故に見舞われるでしょう。

 

3)周りの人の目が気になってやるのが恥ずかしかった

 

ボンネットをバンバン叩く行為はやってみると結構気恥ずかしいものです。

「猫バンバンを知らない人が見たらなんと思うだろうか?」と考えてしまいます。

「車の調子でも悪いのかね?」

「ヘッドライトが切れていて、叩いて点けようとしているんだわあの人、ハハハ」

なんていう声が聞こえてきそうな気がします。

 

また猫バンバンについて知っている人の前でもちょっと躊躇してしまいそうです。

あんまりカッコいい仕草ではないんですね、この猫バンバン。

私のようにいかにも調子の悪そうなボロ車だったら車をバンバン叩く動作はお似合いなところもあるのですが、ピカピカに磨かれたベンツのボンネットをお洒落な紳士や淑女が叩いていたらどうでしょう? 美しい所作に見えますか?

それにキズや凹みができないか心配にもなりますね。

 

猫の命がかかっているのですからなりふりかまってなどいられないという気持ちもありますが、だからと言っていつでもどこでもバンバンやれるものでもありません。

自動車メーカーにはぜひとも対策をお願いしたいです。例えばこんなのはどうでしょうか?

猫がエンジンルームに入り込めないようなアンダーカバーや金網の設置。

あるいは猫が嫌がる音を出して猫を寄せ付けない装置をエンジンルーム内に設置。

  

教習所でも教えてください

 

猫がエンジンルーム内で犠牲になることがあるということを教習所でも教えるようにすればどうでしょう?

いや、もしかしたらすでに教えているのかもしれませんね。忘れているだけで私も実は教わっていて、教本にも記載されているのかもしれません。ちゃんと確認してから発言するべきでした。今後調査してみます。

 

あと余談になりますが、猫バンバンの「バンバン」はちょっと語調が強いような気がします、私にとっては。少し乱暴な響きがないでもない。猫トントンくらいの方が馴染みやすい気もしますが、本当にこれは余談です。美しい理念に基づく猫バンバンにケチをつけるみたいで、書かない方が良かったかもしれませんが、一応削除せずに残しておくことにしました。

 

それではこの辺で。

みなさん、明日からバンバンバンバン車を叩いて猫を守りましょう!!

禁酒することで読書する時間ができた

禁酒を始めて良かったなーとつくづく実感することの一つに、夜に知的活動をする時間ができたということがあります。

 

誤解なきように断っておきますが、決して私が知的な人間だと言っているわけではありません。単に知的な活動をする時間ができたというご報告です。ご存じの通り世の中には、知的活動をする非知的な私のような人間もたくさんいるのです。

 

ところで知的な活動と言えば真っ先に読書が思い浮かぶのではないかと思うのですが(?)。そうなのです。私は禁酒をすることによって夜眠りにつく前のひと時、読書のための貴重な時間を得たのです。

 

学生の頃は結構いろいろな本を読んだものでした。19世紀のフランス文学なんか読んだりもしていたのです(今のご時世にそんなもの読む人いるのかな?)。

しかし社会人になってからというもの、めっきりと読書の楽しみから遠ざかっていました。

 

仕事が忙しくて? 

人づきあいも大事だし? 

 

もちろんそれも事実です。しかし目をそらしてはいけないもっと大きな理由がありました。

その理由、その犯人はズバリ、お酒です。

その事実には薄々気付いていたのですが、今までずっと気付かないふりをしてきました。お酒を悪者にしたくなかったからです。

 

酔った状態で読書できるのはほろ酔いまでです。そこを超えるともう無理で、本を開く気力も失せ、小さい活字に目の焦点を合わせることもままなりません。

 

酔った私はそのまま布団にもぐりこみ、あっという間に意識を失うのが常でした。

慢性的な睡眠負債を抱え、おまけに金銭負債も抱え、職場で怒られ、好きな子には相手にされず、過労とストレスでぼろ雑巾のようになっている私は、とどめにアルコールのパンチを受けてあっけなくベッドに沈むのでした。

 

ですので寝付けるかどうかの心配をすることはありません。ベッドに入るやいなや1秒で現実世界とサヨナラできたのです。

 

不眠に悩んでいる人からすればうらやましい話でしょうか?

その代わりに私は20年以上にもわたって夜の時間を有効に使えないまま捨ててしまっていたのです。

 

 

禁酒を始めてから、寝る前の30分ほど読書することができるようになりました。

そして読み始めてみると毎回「あぁ読んで良かった」という喜びをかみしめることができます。

たんに「楽しい」とか「面白い」というだけのことではありません。毎日消費し消費されることで生きている自分が、このひと時だけはそんな消費スパイラルや貸し借りの連鎖から外れたところで、意味のある時間を過ごしていると実感できるのです。

決して現実逃避ではありません。それどころか、この時間こそが私にとっての現実だと思えるほどです。この時間のために非現実的な労働に身を粉にしているとまで思えてきます。

 

今読んでいるのは G・ガルシア=マルケスの「百年の孤独」です。

ずいぶん昔に一度読んだことのあるこの長い小説を、ゆっくりとチビチビ数ページ読んでから寝るのが楽しみです。読み終わるまでに何か月かかるのやら。

チビチビやりながらチビチビ読むなんてこともたまにあるのですがね、ヒッヒッヒ。

 

読んだ本の感想も、いつかこのブログに書いてみようと考えています。

 

禁酒したために寝付けないなんて嘆いているあなたも読書などしてみてはいかがでしょうか? 

勉強や自己啓発のため、仕事やビジネスに役立てるための読書もいいですが、浮世離れした遠い昔の、あるいは遠い異国の物語も、きっといい夢を見させてくれますよ。

禁酒に挑んでいるあなたにこれだけは伝えたい! 失敗しないために私が心掛けていること

意気揚々と禁酒を始めるも、1日で断念してしまう人。3日でギブアップする人。1週間で崩れ去る人。あるいは1ヵ月で、3か月で、半年で・・・。といろんな人がいると思います。

どれだけの期間禁酒を続けられたかにかかわらず、どこかの時点で、何かがキッカケになって、せっかく積み上げてきた「飲酒しない」という素晴らしい習慣を放棄してしまうことがあります。

まったく勿体ない話です。

 

今日私があなたに伝えたいことは、そのキッカケとなる「何か」を警戒して遠ざけましょうということではありません。

そうではなく、禁酒中に禁を破ってお酒を飲んでしまうことがあったとしても、そこで「もうダメだ」と禁酒をあきらめてしまわないようにしましょう。禁を破ったことなどなかったかのように平気な顔をして、次の日からまた禁酒を続けましょうということを言いたいのです。

 

と言うのは潔癖で完璧主義な人ほど、一度でもつまづいてしまうとそこで全てを投げ出してしまうことがあるからです。

誰だってたまには誘惑に負ける日もあります。付き合いでお酒を断れない場合だってあるでしょう。そんな時にしばしば人は、自己嫌悪に打ちのめされ、自暴自棄になってしまいます。

「あーぁ、飲んじゃった。せっかく禁酒を続けてきたのに今までの努力が水の泡だ。元の木阿弥だ。やっぱりダメか俺は。本当にダメな人間だな俺は」

こんな風に自分を責めてしまうのです。真面目な人ほどそういうところがあると思います。

 

実はこんなことを言っている私自身が、まさにそういうタイプなのです。

例えば筋トレを始めようとか、英語の勉強を時間を決めて少しずつやってみようとか、もっと難易度の低いことで言えば、新聞を毎日読もうとか、すべてに当てはまるのですが、習慣になる前に一回でもつまづくともう嫌になって投げ出してしまうのです。

部屋の掃除もそうで、片付ける、掃除するとなると一日がかりになったとしても全部キッチリとやらないと気が済まないのです。そうすると当然その日はきれいになり達成感もあるのですが、普段からほどほどにきれいにしておくということができません。80点でいいのでいつもざっと小綺麗にしておくということができないのです。

 

しかし私ははっきりと自覚していますが、これはまったくもって現代の社会生活に不適合な性格です。大昔の人のように、何か一つのことをゆっくりと時間をかけて成し遂げるような余裕は現代にはありません。あれもこれもしなければならないのです。

ちょっと私事の話が続いて恐縮ですが、私はテレビだってほとんどつけることがありません。なぜかというと初めから終わりまでしっかりと見る時間がないからです。ニュース番組のようなものでさえ、一部を見逃すことが気持ち悪くて嫌なのです。

でもニュースなんか普通は何かしながら見るものではないでしょうか? 朝の出勤の準備をしながらだとか、料理を作りながらだとか、食事しながらだとか、途切れ途切れに見て、興味のある話題だったらちょっと手を止めて見てみるというのが一般的なテレビの見方なのではないでしょうか?

でも私はそれをしないため、膨大な量の情報を取り逃がしているのです。テレビなんてつけっぱなしにしておいて、適当に見聞きしておいても大体のことが分かり、そんな情報の断片でも積もれば大きな山になり、仕事や実生活の上で役立つものになるはずなのです。私は自分のこんな性格のせいで、ずいぶん損をしていると思っています。

ですので私が最近心掛けているのは「一生懸命にテキトーにやる」ことです。オールオアナッシングなんていう考えでは、オールを取れればいいですが、オールでなければすべてナッシングになってしまうのです。テキトーにやっておけば6割くらい手に入れられたかもしれないのに、10割以外認めないという姿勢ではいつも0なのです。

 

禁酒の話に戻りますが、私も現在禁酒を続けている身です(「禁酒」のカテゴリーでいくつか記事を書いていますので、よろしかったら御覧ください)。

私は今この記事を書いている時点では禁酒を始めて5ヵ月になりますが、その間に飲んだ日だって結構あります。

しかし禁酒に失敗したとは思っていませんし、成功していると思っています。

禁酒ができているというのは一滴も飲まないでい続けるということではなく、たまに飲む日があったとしても、そこで崩れ去ることなく自分を立て直して生きていけるということではないでしょうか?

 

昨今の風潮は「頑張りすぎない」「負けたっていい」「自分を褒めてあげる」「自分へのご褒美」などなど、自分を甘やかせることに寛容になってきています。しかし誤解されないようにここは強調しておきますが、私が目指しているのはそんな流れとは違います。

どこかで頑張らない人は、結局自分の望むもの、望む状態を手に入れられないのではないでしょうか?

私は自分を褒めてあげるなんて、そんな気持ちの悪いことはしたこともありませんし、褒められる自分ではありません。毎日が自己嫌悪との戦いで、その戦いに勝ったり負けたりしながら生きているのです。

しかし先にも述べたように、一度や二度禁酒期間が途切れたからと言って敗北宣言をする必要はないのです。

鉄のような強さを目指すのではなく、竹のように柔らかくしなりながら、しかし折れない人生を目指そうと思っています。

三日坊主も百回続ければ一年になると言ったのは誰でしたでしょうか? どこかで読んだか聞いたかしたのですが、私は結構気に入っている言葉です。

 

そんなわけで、愛すべき禁酒同好会のみなさん、これからもお互いに頑張っていきましょう。

 

何だか今日は上から目線で説教くさいことを語ってしまって済みませんでした。気に障った人、許してください。なんせ、ちょっと飲んでますのでね。へっへっへ。

 

注)病院での治療が必要になるようなアルコール依存症の場合には上記の内容はあてはまらないかもしれません。必ず医者の指示に従ってください。 

飲食店が運転代行を呼ぶ上で注意したいこと6つ

アルコール類を提供する飲食店は、かつては客が店内にいる間だけ客の対応をしていれば良かったのですが、時代は変わりました。

今では飲んだ客の帰りの手伝いまでしてやらなければならなくなったのです。

飲食店の客が自分の携帯電話から直接代行を呼ぶ場合はよいのですが、飲食店の店員に代行を呼んでくれと頼む客も多いのです。

ほとんどの店では客の依頼に答えて代行を呼ぶと思います。タクシーを呼ぶのと同じように。

しかし、数ある代行会社の中の任意の1社に電話をかけて、呼べば終わりではありません。タクシーと違って運転代行を呼ぶにはいろいろと面倒くさいことが多いのです。

 

今回は飲食店側からの目線で運転代行について書いてみようと思います。

 

運転代行は呼んですぐ来るとはかぎらない

 

運転代行はタクシーと違って呼んですぐ来るとはかぎりません。日によって、あるいは時間帯によっては1時間以上待たなければならないこともあるのです。

 

「代行を1台呼んで」と頼まれた店は、通常普段呼ぶことの多い代行会社の中から1社選んで電話をかけます。そこで代行会社から「20分でお伺いします」と言われたとしましょう。しかし「ではお願いします」と店員は即答できないこともあるのです。

 

店員は電話を保留にしたまま客のところへ行き、「20分で来るそうです」と伝えます。客がそれでいいと言えばその代行を頼みます。しかし客によっては「もっと早く来てくれる代行を探してくれ」という人もいるのです。

 

店員はいったん電話を切り、他の代行会社をあたります。もっと早く来れる代行会社、例えば10分で来れるというような会社を見つけられればよいのですが、どこの会社も20分かかるとすると、客にその旨を伝えに行かなければなりません。

客が「それでは仕方がない、20分待つよ」と言ったら店員は最初に電話をした代行会社にもう一度電話をかけて20分待つので来てくださいと頼むのです。

 

しかし代行会社にはひっきりなしに予約の電話がかかってきています。5分たてば配車できる車の状況が変わることはよくあります。そんな時に店と代行会社とで軽いトラブルが発生することがあります。

「さっき20分で来れると言ったじゃないか」という店員と、「さっきの時点では20分でしたが他から依頼が入ったので、今でしたら30分お待ちいただくことになります」といったやりとりがおこなわれます。

 

店員はあきらめて2番目に電話した代行会社にかけなおします。その会社の車が20分で来てくれればよいのですが、そこでももっと待たされるとなると飲食店としてはたまったものではありません。

しかも飲食店は料理を作ったり、運んだり、食器を洗ったり、会計をしたりするのがメインの仕事なのです。忙しい時間帯に代行を呼ぶなんて雑用に時間を食われている暇はありません。

 

しかし今私は「雑用」という言葉を使いましたが、ここ数年の飲食店の状況を見ていると、代行を呼ぶ仕事は決して雑用ではなくなってきています。いかにスムーズに代行を呼んで客を気持ちよく帰らせるかということは、店が客に提供するサービスの中で大きな位置を占めるようになってきました。

また逆に代行を上手く呼ぶことができず客にストレスを与えてしまうと、せっかく心地良い時間を過ごしてもらおうとした店の努力が台無しになってしまうこともあるのです。代行で不愉快な気分になったことを理由に「この店にはもう来ない」とまではならないと思いますが、店で過ごした楽しい気分に水を差すことになるのは間違いないのです。

 

店は代行を呼ぶ作業が短時間で間違いなく済むようにいろいろな工夫をしていると思います。あらかじめ客から何分以内に来る代行なら呼んでいいか、上限の時間を確認してから電話するのが効率が良いでしょう。

 

代行料金は会社によって違う

 

タクシーと異なり代行料金は一律ではありません。各代行会社によって料金は違います(*注 平成29年10月現在の情報です。料金を一律にしようという動きもあるようです)。

店が代行を呼ぶ場合、早く来てくれることを優先させると料金の高い代行が来ることがあります。店としては代行料金が高かろうが安かろうが関係ありませんが客は違います。同じ店から自宅まで帰ったのに、前に帰った時よりも高いと清算時に文句をいう客が時々いるのです。また高い代行を呼んだ店を逆恨みする客もいます。

このようなことがあると、その客が次回から店に代行を頼む時に「安い代行を頼んでくれ」とか、「○○代行以外にしてくれ」などと条件をつけることがあり、店としては選択肢が狭まり、仕事がしにくくなるのです。

長くお店をやっていていくつかの代行会社と付き合いがあれば、ある程度代行料金の違いも分かってくると思います。しかし運転代行なんてものがなかった時代であればこんな労力は必要なかっただろうにと店を気の毒に思うこともあります。

 

余談ですが、基本的に安い代行会社は待ち時間が長いことが多いです。そしてたった数百円安く済ませるために1時間も余計に長く待つという客も中にはいるのですから驚きです。暇でいいですね。

 

代行が約束した時間に来ない

 

代行が時間通りに来ないことはよくあります(あってはいけないことですが)。どうして時間通りに来れないのかについてはいずれ別の記事で詳しく解説するつもりですので、ぜひそちらをご覧ください。

代行が約束の時間に来なくて困るのは店の客ばかりではありません。客の怒りの矛先が、その代行を呼んだ店にも向けられることがあるからです。

店が親切で代行を呼んでくれたにもかかわらず、来ない代行の責任の一端があたかも店側にもあるかのような言動をする客がいるものです。大方は酔っぱらっていて理性が働かないからなのですが、だからといって大目にみてあげる理由もありません。

客は店で過ごした時間の満足度を総合的に判断しています。料理が美味しいとかそうでないとか、料理が出てくるのが遅いとか、店内の雰囲気とか、音楽とか、店員の対応とか、ホステスのいるような店では当然ホステスへの満足度が店の評価の大きい部分を占めることになります。そんな評価対象の中に代行も含まれていることを忘れてはいけません。

 

お店にとっても客の回転率を上げたい時間帯に代行がなかなか来ないと売上げを損ないます。店内で代行が来るのを待っているだけの客というのは、もう何も料理を注文しないものです。そんな客が長居しても1円にもならないばかりか、テーブルを占拠して次の客の入店を邪魔しているのです。お店としては早く帰ってもらいたいものです。そのためには早く代行に来てもらいたいのです。

 

小さい店の場合、閉店時間にかかわらず客が帰らないと店員も帰れないことがあります。

例えば午前2時に閉店するスナックがあったとしましょう。代行を2時に来るように呼んであります。2時に客を代行で帰して、その後店員も帰宅するためです。

しかし代行が2時を過ぎてもまだ来ません。そんな場合、店を閉めることができません。閉店時間だからといって常連客を2時に店から追い出し、代行が来るのを待っている客を尻目に店員だけ先に帰宅することは難しいのです。結局代行が来るまで店員も客に付き合わなければなりません。

時間通りに来ない代行というのはそれを直接利用する客にとっても、また店にとっても迷惑なものなのです

 

代行を依頼した客が代行が来る前に勝手に帰ってしまった

 

飲食店から呼ばれて、代行会社の車が時間通りに店に到着しました。代行の運転手は店に入って到着した旨を店員に伝えます。しかし代行で帰るはずだった客はそこにいません。

店員は「さっき会計を済ませて店から出て行ったので、駐車場の自分の車の中で待っているのではないでしょうか?」と言います。しかし駐車場の車をくまなく探してもそんな客はいません。

どんな可能性が考えられるでしょう?

たまたま近くにいた別の代行会社を拾って帰ってしまったか、待ちきれずに飲酒運転で帰ったか、歩いて別の店へでも行ったか、宇宙人にさらわれたかしたのでしょう。

 

仕事は空振りに終わってしまいました。しかしこんな場合に代行を呼んだ店に苦情をいうわけにはいきません。店はただ客の代わりに代行を頼んだだけなのですから。店にキャンセル料を請求するわけにもいきません。

はるばる店に辿り着いた代行会社の車は、客がいないことを会社に報告し、また次の店へと車を走らせるのでした。

 

私もこんなことが何度もありました。

店から呼ばれて行ったのだから、客を代行の運転手にきちんと引き渡す責任が店にはあるのではないか? と私などは思うのですが、どうなのでしょうか? 

店もそこまで責任は持てないですよね、きっと。

  

飲食店が代行会社を何社も呼んだ場合に起こりがちなトラブル

 

大型の飲食店などでは代行の車を一度に10台近く呼ぶことがあります。代行会社1社だけでその台数をまかなえない場合には、飲食店は複数の代行会社でその台数を確保することになります。

 

そんなときに起こりやすいトラブルを3つ。

 

1つ目

普通は店に到着した代行会社の順番で、出てきた客を乗せて出発しますが、順番抜かしをする人がやはりいるのです。そんな時に運転手同士でいざこざが起こったりします。

 

2つ目

店から出てきた客の中には自分の携帯電話から個人的に代行を頼んでいる人もいます。その客が、自分が個人的に呼んだ代行ではなく、店から呼ばれて来ている別の会社の代行で帰ってしまうことがあります。多くは双方の勘違いによるものです。

しかしその客が遠方へ帰る客で、呼ばれていた代行会社のお得意様だったりすると、「ウチの客を取った」とその代行会社から電話がかかってくることもあります。代行会社の配車係同士で言い合いになることもあるのです。

客は酔っていて頭も働かないし、運転手だって夜で相手の顔もよく見えない。狭い駐車場は客と運転手と車でごちゃごちゃしているし、みんな急いでいるしで間違えてしまうこともあるのです。

 

3つ目

代行を自分で呼ばず、店に頼んで呼んでもらうこともせず、とりあえず店から出てくる客もいます。そうするとそこには何台も代行の車がいる。ではこれで帰るかと、待っている代行を使って帰ってしまう人もいます。そうすると店から呼んだ代行が足りなくなる。店から代行会社に電話がかかってくる。

 

店「おたくに3台頼んだはずなのに2台しか来ていない」

代行会社「いや3台到着して3台とも出発した」

店「1台来てなくてお客様が30分も待っていて怒っている」

 

飲食店は呼んだ代行会社の社名を客に伝えたり、代行会社に客の名前を伝えたりと、間違いが起こらないように間に立っていろんな苦労をしています。

 

店から客が出てこない

 

代行会社が店に到着したのに客がなかなか出てこないことがあります。

話が盛り上がってまだ帰りたくないのでしょうか?

だったらまだ呼ぶなと言いたいです。

 

また、2人で飲んでいる客が2台代行を頼んで、1台は到着したがもう1台がまだ到着しない。こんな時に、2台そろうまで店から出てこない客というのがいます。

代行会社は店から電話で代行の依頼を受けたときに「2台同時に到着しなくても、着いた順番にすぐに出てきてください」と伝えておくこともありますが、その通りに実行されないこともしばしばなのです。

 

これは店の責任ではなく客の責任なのですが、時間にルーズな客の多い店というのは割とあります。そういう客層なのでしょう。もしくは客に気兼ねして「代行が待ってますのでそろそろお帰りください」と伝えられない店なのでしょう。

そういう店からの仕事はだんだんと受けなくなってしまいます。よほど暇な時は別ですが。

特にわざわざ時間指定をして代行を呼んでいるにもかかわらず、その時間になっても出てこない店というのは、代行の仕事を受け付ける優先順位は最下位です。

 

まとめ

 

今見てきたように、飲食店が客に代わって運転代行を呼ぶというのは結構大変な仕事です。しかしその業務をうまくこなせれば、店にとってそのサービスは一つの武器となるのではないでしょうか。

代行を上手に使うためのマニュアル作りや従業員教育などにも力を入れてみてはいかがでしょう。

ネットワークビジネスを始めることになっちゃった!

職場の先輩からの紹介で、某ネットワークビジネスを始めることになりました。

経緯をかいつまんで話します。

 

先輩曰く「最近副業としてネットワークビジネスを始めた。ついては勧誘や紹介に使うチラシの作成などを手伝ってほしい、自分はパソコンの扱いに慣れていないから。もちろんお礼はする。それにあたってはどんな会社のどんなビジネスなのか概要を知ってもらいたいので今度のセミナーに一緒に行って話を聞いてほしい」

 

こんな内容の話があり、私はそのセミナーに参加したのです。

セミナーといってもマンションの一室に数人集まって、先生役の人の話を聞いたりみんなで会話したりというだけの、実にアットホームなものでした。

お茶を飲みながら製品紹介のビデオを観たり、スライドを使っての説明を聞いたりして、午後の日差しが差し込む明るい部屋で夕方まで時間を過ごしたのです。

 

そしてセミナー(というのかミーティングというのか勉強会というのか)が終わり、そろそろ解散とあいなろうとする頃、私は「僕もやろうと思います」という言葉を自然と口にしていたのです。

 

一番驚いていたのは私をそのセミナーに誘った先輩でした。彼はまさか私がそのビジネスを実際にやるなどとはまったく考えていなかったのです。本当にチラシの作成をしてもらいたかっただけなのでした。

 

私はこのビジネスをやるかやるまいか考えあぐねた末に一大決心をしたわけではありません。確かにどんなことでも新しいことを始めるには多少の迷いは生じるものですから、まったく私の中に葛藤がなかったわけではありません。しかしその葛藤は、先月ブックオフで古着のTシャツを1枚、買うかどうか悩んだ末に200円で購入したときよりも小さいものでした(注・ブックオフには本やCDだけでなく衣類も売っています。ご存じとは思いますが念のため)。

 

セミナーでは、取り扱っている製品が環境にやさしく高品質で安いということと、製品の紹介をビジネスとしておこなえるということを聞いただけで、販売員として勧誘されることはありませんでした。私以外にもそのセミナーに誘われて来ていた人たちがいましたが、その人たちも特に勧誘されるということはなく、話を聞くだけで終わりでした。

 

私も二十歳そこそこの子供ではなく、ある程度の人生経験を積んだ大人ですので、うまい話に手放しで飛びつくようなことはないつもりです。

入会するにあたって登録料は多少必要ですが、ビジネスに失敗したとしても失うものはその登録料くらいのもので、その他にリスクはほとんどありません。始めるためのハードルは低いのです。

 

そんなセミナーがありまして、それから数日後に正式に登録するための書類にサインをし、めでたくみんなの仲間入りをはたしたというわけです。

 

私も今までに何度かこの手のネットワークビジネスの勧誘を受けたことがありました。いろんなセミナーやミーティングに連れて行かれたりしたこともあるのです。しかし最終的には勧誘を断りました。

それはどうしてかと言いますと、扱っている製品がどうだとか報酬がどうだとかということよりも、そのビジネスに携わっているメンバーの人たちと一緒に仕事をやっていきたいと思わなかったからです。メンバーというのは私を勧誘した人やその人を勧誘した人、そのまた上の人といった人たちのグループのことです。

今回はセミナーに参加してみて、私がそこの人たちを気に入ったからやってみる気になったのです。

 

 

ところでネットワークビジネスというとアムウェイやニュースキンなどがすぐに思い浮かぶのではないかと思いますが、私が始めることになったのはほとんど名前の知られていない会社です。私も生まれて初めてその会社名を耳にしました。

まだ始めたばかりですし、会社のことも仕事の詳細についても知らないことばかりです。私の無知ゆえの発言から関係者に迷惑をおかけするようなことがあってはいけません。そんなわけで今のところはまだ私がやることになったビジネスの会社名は伏せておくことをご了承ください。

 

このビジネスはマルチレベルマーケティング(MLM)なんていうカッコいい別名で呼ばれたり、特定商取引法では連鎖販売取引なんていう硬い名称が使われたりしています。またねずみ講の親戚みたいに揶揄する人たちもいます。

怪しげな儲け話。強引な勧誘。損させられるに決まってる。詐欺・・・。

などなどいろんな印象を持っている人がいると思います。

自信を持ってしっかりとした説明ができるように、目下知識武装中です。

もしかしたら、あなたにも声を掛けるかもしれませんよ。

 

元来友人知人が少なく人脈もない私に、はたしてどこまでできるのか、よく考えてみると不安材料は多々ありますが、あまり深く考えすぎずに気楽に気長にやっていこうと思います。

 

ちなみに当初やるはずだった「チラシの作成」も、数回の修正を経て合格点をもらえるものを完成させました。この作成のために、今までその名前しか聞いたことのなかったパワーポイントなるものを使い、悪戦苦闘の末に独力で成し遂げたのです。お陰で良い勉強になりました。

 

また進展があれば、この「ネットワークビジネス」のカテゴリーで記事を書いていきますので、ぜひとも御覧くださいませ。

「ダメ」という言葉を使うのをやめませんか? 「ダメ」と言いたがる人の5つのタイプ

私が働いている職場では「ダメ」という言葉をよく耳にします。

仕事上の指示として使われることがほとんどで、「それをしてはダメ」「そのやり方ではダメ」「こんな結果ではダメ」などのような文脈で口にされます。

 

短くて発音しやすく、1秒で言い終われるので忙しい現代人向きなのです。おまけに何故ダメなのか、どの程度ダメなのか、ではどうすれば良いのかについては一切言及しなくとも、ただ「ダメ」の一言で相手を黙らせてしまえる無慈悲さも人気の秘密でしょう。「ダ」という強い音がその場の雑音や空気を断ち切って相手の耳を突き刺し、一撃で相手の行動を制止させる効果があります。

 

そんな便利な「ダメ」なのですが、結論から先に言わせてもらうと私はこの言葉が嫌いです。相手の言動のみならず、人格や考え方も含めた人間全体を否定しているように聞こえるからです。「ダメ」と言われると「ダメな人間だ」と同義に受け取ってしまうのです。

 

こんな風に感じるのは私だけでしょうか? 他の人たちは特に違和感なくこの言葉を発したり受けとめたりしているのでしょうか?

 

私は「ダメ」という言葉を自分が言われるのはもちろんのこと、他人が他人に使っているのを聞くのも不愉快です。それだけではなく、ドラマや小説の中の会話で「ダメじゃん」などと使われているのを見聞きするだけでも腹立たしく感じてしまいます。

今日も日本中のあちこちで、朝から晩まで1000万回もこんな言葉が発せられているのかと想像すると本当に気が滅入ります。

 

そこで、どうしてこんなに頻繁に「ダメ」という言葉が人々の口にのぼるのかをちょっと考えてみました。

 

そもそもこの言葉を使うことに抵抗がない

感受性が鈍いのか、この言葉に特別嫌悪を感じておらず、気軽な否定表現として何らのためらいもなく使用している人がいます。こういう人が使う「ダメ」は同じ「ダメ」でも屈託がない分嫌味にならないので、慣れてくればあまり気にならなくなることが多いです。この人の言う「ダメ」はまぁ許せるか、というように、使う人によって感じ方が変わることがあります。

 

無精者が手近なところに転がっている言葉を拾って投げつける

考えるのを面倒くさがる人は、パッと頭に思いついた言葉を思考のフィルターを通さないまま口にします。似たような意味の言葉であれば何でもいいのでしょう。大体の意味が通じて結果的にこちらの望む通りになるのならば言葉は選ばないというタイプです。

日本語には「ダメ」という言葉以外にもたくさんの言葉がありますよ。他の言い回しも試してみてはいかがでしょうか? これは「カワイイ」しか言えない女の子にも言っておきたいことです。

 

適切な否定表現のボキャブラリーがない

上記のタイプと重複する部分がありますが、他に言葉を知らず、○か×か、白か黒か、といった大雑把な表現しかできないため、「良い」の反対として「ダメ」を使うしかない人。

言葉を使って様々なニュアンスで表現することができるのだということを知ってもらいたい。

よく歌の歌詞などで「言葉では表せない」とか「言葉では伝えられない」とか「こんな時に言葉は役に立たない」などと言葉を軽視し、言葉の力を低く評価しているのを耳にしますが、一体言葉で表現するための努力をどれだけした上で言っているのかと問いただしたいです。

私も言いたいことを上手く言えない歯痒さを毎日のように感じていますが、それは言葉のせいではなく私のせいなのです。「言葉なんて役に立たない」のではなく、役に立たないのは自分だということに気付いてもらいたいものです。

古今東西の偉大な文学作品の1ページでも読んでみれば、言葉の可能性に目を開かれるでしょう。たとえ自分には言葉を使いこなすだけの能力がないにしても。

 

自分の方が立場が上だということを主張したい

 「ダメ」という言葉は目上の人には使わないはずです。必ず自分よりも格下に対して上から使う言葉なのです。同僚などでどちらが上か下か分からないような関係において「オレが上だ、お前が下だ」ということを定義したい人が、相手のミスに乗じてここぞとばかりに使います。

 

これを機に可能な限り相手を叩きたいという幼稚な加虐趣味の表れ

「ダメ」という言葉の効果、威力を知っていて、あえて使う意地悪な人が時々います。自分が狙った人に必要な分だけ使うのであれば、その相手から嫌がられるだけで済むかもしれませんが、注意しなければならないのは言葉遣いは癖になるということです。特に品のない言葉ほどその傾向があります。ここに例を挙げるのは差し控えますが、簡単にいくつも思いつくことでしょう。「ダメ」が口癖になっている人の周りには人が寄り付かなくなると思います。

 

まとめ

「ダメ」という言葉を使ってもよいのは、理由を説明する時間がないような緊急を要する場合か、相手を威嚇してでも有無を言わせずその行動を制止させる必要がある場合だけに限るべきだと思います。

例えば小さな子供がボールを追いかけて、車が来ている車道へ飛び出そうとするのを止める場合などです。

私はうちの猫が台所のテーブルの上に跳び乗った時にだってそんな下品な言葉は使いません。うちの猫はダメじゃない。ただ味噌汁を舐めてみたかっただけのいたいけな猫なのですから。

 

以上、まったく個人的な意見を述べさせていただきました。反論も多々あろうかと思いますが、こんな考えの人も世の中にはいるのだなくらいに軽く流し読みしていただければありがたいです。

猫を事故から守るためにできること

猫たちがそれぞれに与えられた天寿を全うできれば良いのですが、中には不慮の事故により命を落としてしまうケースがあります。

 

今回はそんな悲しい事故を防ぐために私たちに何ができるのかを考えてみようと思います。

主に家猫に対して家庭でできる取り組みについて、私が実践していることを思いつくままに書いていきます。

もし何か参考にしていただける部分があれば、あなたの愛猫のためにぜひお役立てください。

 

 

そもそも家庭内の事故でどれくらいの猫が犠牲になっているのか、私はその数字を知りません。

ですが、その数は決してゼロではないはずです。

それでは安全なはずの家庭内に一体どんな危険が潜んでいるのか?

 

猫を踏まないように注意

 

まず考えられるのは、誤って猫を踏んでしまうということです。

 

そんなことが本当にあるのでしょうか?

私は踏みそうになってヒヤッとしたことはありますが実際に踏んだことはありません。また踏んで死なせてしまったという話をきいたこともありません。

しかし可能性としては十分にあり得ることです。

音もなく歩いてきた猫が知らない間に自分の後ろで寝そべっていて、気が付かずに踏んでしまうということは考えられます。

 

私は部屋の中では、立っている状態から一歩でも足を踏み出すときには必ず足元を確認するようにしています。

面倒くさいなと思う人もいらっしゃるかもしれませんが、習慣になればどうってことはありません。

 

ふとんの中や衣類の下に注意

 

寒い冬の日などは、猫が掛布団の中に潜り込んでいることがあります。

それに気付かずにベッドの上に跳び乗ったりしたら、大惨事となります。

また似たような状況として、取り込んだ洗濯物の山の中に猫が隠れているということもあるかもしれません。

猫が隠れているかもしれない場所で何か行動を起こすときには、常に注意を怠らないようにしたいものです。

 

ドアを閉める前の確認

 

猫は飼い主の行くところ行くところについてくることがあります。

うちの猫ピヨピヨ(仮名)もそうなのです。

トイレに行くにもついて来ることがあります。

そんな時に、自分がトイレに入ったあと、後ろを確認せずに後ろ手にドアをバタンとしめたりしたら、ついてきた猫の首やしっぽを挟んでしまうかもしれません。

 

ベランダに出るときなども、猫が後ろからついてきて敷居のところで外の様子を窺っていることがあります。

猫に気付かずにベランダのあの重いドアを勢いよくしめたりしたら、猫はどうなるでしょう。

 

「ドアを閉めるときは確認をしてから」を習慣にしています。

 

刃物の放置は厳禁

 

包丁、カミソリ、針、ナイフ、カッター、日本刀(ないと思いますが)などの猫の身体を傷つける可能性のある物体は猫の手の届くところに放置しないようにしています。

 

好奇心旺盛な猫は何でも触ったり舐めたり蹴とばしたりしたがります。

洗った後の包丁をシンクの横のカゴに入れて乾かしておくような場合でも、私は必ず刃をむき出しにしないようにしています。

 

洗剤、漂白剤などのつけ置きの液体の管理

 

台所で食器を漂白剤につけ置きにしていたり、トイレや浴室を洗浄中のままドアを開けっぱなしにしていたりすると、猫がその水を飲んでしまう可能性があります。

「えっ、うちの猫はそんな水飲まないよ」という方もいらっしゃいますでしょうか?

お上品な猫ちゃんですねぇ。でもあなたが知らないだけで案外トイレの水なんか飲んでるかもしれませんよ。

 

うちのピヨピヨはいつもの食事スペースに新鮮なおいしい水をたっぷりと用意しているにもかかわらず、浴室の床面に溜まっている水たまりの水を好んで飲んだりするのです。

ですので猫が飲みそうな液体、食べそうな食品で、猫の健康を害する可能性のあるものは猫が近づけないような配慮をしています。

 

冬場のストーブ、ガスコンロの火

 

暖房にファンヒーターやエアコンを使っている方が多いと思いますが、私は昔ながらのストーブを愛用しています。

オレンジ色の火を見ていると、薪を燃やす暖炉ほどではないですがやはり気持ちまで暖かくなるような気がします。

それにヤカンをかけたり煮物を保温しておいたり餅やシイタケを焼いたりもできるからです。

そんな便利なストーブですが、心配の種は猫の火傷です。

ストーブの焼けた天板に跳び乗るようなことはさすがにしないでしょうけれども、ヤカンをひっくり返したり、しっぽが網のすき間から中に入って火が付くなどの恐れはあります。

たとえ短時間でも部屋を留守にする時には消火を徹底しています。

 

猫を外に出さない

 

家で猫を飼っている人は、猫を外に出させない方が良いと思います。

その一番の理由は猫を交通事故の被害に合わせないためです。

猫を外に出させないというと「猫を監禁している」という印象を持ってしまう方もいるかもしれません。猫の外出の自由を尊重したいという気持ちも分かります。

しかし大空を自由に羽ばたきたい鳥を小さな鳥かごの中に閉じ込めておくのとは違い、猫は部屋の中だけでも工夫次第で快適に暮らしていける動物だと私は思います(猫にきいてみたわけではありませんが)。

 

猫が車にはねられたり轢かれたりしたところを見たことがありますでしょうか?

それが自分の飼っている猫ではなくただの野良猫だったとしても、とても痛ましく、つらい気持ちになるものです。

ましてや自分の愛猫がそんな目に合ったりしたら、とても冷静な気持ちではいられないと思います。

 

あんなに運動神経の良い猫が、どうして走ってくる車の前に飛び出したりするのでしょうか?

その猫の心理を誰か専門家に解明してもらいたいものです。

 

猫の交通事故死は私たちが想像しているよりもはるかに多いそうです。

詳しく解説してくださっているサイトもありますので、ぜひ参照していただきたいと思います。

 

最後に

 

人間でも、乳幼児の死亡事故は安全だと思われがちな室内で起こっているケースが多いそうです。

水を張ったままにしておいた浴槽での溺死やコンセントでの感電など、考えてみれば危険なモノや状態というのは意外と多く存在します。

家の中も危険なのだという意識をもつことが、家庭内での事故を防ぐ一歩になるのではないでしょうか。 

 

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